徒然草 / 第17段
山寺にかきこもりて、佛に仕うまつるこそ、つれづれもなく、心の濁りもきよまる心地すれ。
新字:山寺にかきこもりて、仏に仕うまつるこそ、つれづれもなく、心の濁りもきよまる心地すれ。
書き下し
山寺にかきこもりて、仏に仕うまつるこそ、つれづれもなく、心の濁りもきよまる心地すれ。
現代語訳
山寺に閉じこもって、仏にお仕えするのは、退屈することもなく、心の濁りも清まる心地がする。
解説
山寺に籠って仏に仕えることの心地よさを述べた短い段です。「つれづれもなく」(退屈することもなく)「心の濁りもきよまる」という二つの効果を挙げ、俗世を離れた静かな環境で修行に専念することの精神的な充実を端的に表現しています。『徒然草』全体を貫く無常観や仏道への関心を踏まえると、この段は、日常の雑事や人間関係の煩わしさから離れることで得られる心の静けさを、ごく短い言葉で言い表したものと読めます。長い説明を加えずとも、山寺という場そのものが持つ浄化作用を信頼している点に、兼好の仏教的な素養と実感がにじみ出ています。忙しい日常の中で心が乱れがちな現代人にとっても、意識的に俗世から距離を置く時間を持つことの大切さを示唆する一段だと言えるでしょう。
この章句が説くこと
山寺仏道修行心の濁りつれづれ無常観静けさ
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