徒然草 / 第15段
いづくにもあれ、暫し旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。そのわたり、こゝかしこ見ありき、田舍びたる所、山里などは、いと目馴れぬことのみぞ多かる。都へたよりもとめて文やる。「その事かの事、便宜にわするな。」などいひやるこそをかしけれ。さやうの所にてこそ、萬に心づかひせらるれ。持てる調度まで、よきはよく、能ある人も、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。寺社などに忍びてこもりたるもをかし。
新字:いづくにもあれ、暫し旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。そのわたり、こゝかしこ見ありき、田舎びたる所、山里などは、いと目馴れぬことのみぞ多かる。都へたよりもとめて文やる。「その事かの事、便宜にわするな。」などいひやるこそをかしけれ。さやうの所にてこそ、万に心づかひせらるれ。持てる調度まで、よきはよく、能ある人も、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。寺社などに忍びてこもりたるもをかし。
書き下し
いづくにもあれ、暫し旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。そのわたり、こゝかしこ見ありき、田舎びたる所、山里などは、いと目馴れぬことのみぞ多かる。都へたよりもとめて文やる。「その事かの事、便宜にわするな。」などいひやるこそをかしけれ。さやうの所にてこそ、万に心づかひせらるれ。持てる調度まで、よきはよく、能ある人も、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。寺社などに忍びてこもりたるもをかし。
現代語訳
どこであっても、しばらく旅に出るのは、目が覚めるような心地がする。その辺りのあちこちを見て回ると、田舎びた所や山里などは、まったく見慣れないことばかりが多い。都へ人づてを求めて手紙を送る。「あの事、この事、機会があれば忘れずに」などと言って送るのも趣がある。そのような所でこそ、万事に気を配らされるものだ。持っている調度品まで、良いものは良く、才能のある人も、容姿の良い人も、いつもより魅力的に見えるものだ。寺社などにひそかに参籠するのも趣深い。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
徒然草・第17段山寺にかきこもりて、仏に仕うまつるこそ、つれづれもなく、心の濁りもきよまる心地すれ。
-
『楽訓』巻之上・総論一旅行して他郷にあそび、名勝の地、山水のうるはしき佳境にのぞめば、良心を感じおこし、鄙吝をあらひすすぐ助となれり。是も亦我が徳をすすめ、知を広むるよすがなるべし。又いひしらぬ異境に行きて、見なれぬ山川のありさまを見て、目をあそばしめ、其里人にあひて、其所の風土をとひ、あるは奥まりたる山ふところに、岩根ふみて尋ねいり、もとより山水の癖ありて、青山夢に入ることしきりなる人は、心をとめて、帰る事をわすれぬ。あるは海べた、山遠き、眼界ひろきながめは、万戸侯の富にもまされり。又其里におひ出でたる名産の異なる品を見て、其味をこころむるも、いと珍しく、心なぐさむわざなり。すべて勝地にあそびて見ききせし事、唯一時の耳目を悦ばしむるのみならず、いく年経ぬれど、其時見聞せしありさま、老の後までをりをりおもひ出でられて、あたかも其時見聞せし思ひをなして、楽むべし。是を以て、世にめでたき事を思出と云ふも、むべなるかな。
-
徒然草・第112段明日は遠国へ赴くべしと聞かむ人に、心しづかになすべからむわざをば、人いひかけてむや。俄の大事をも営み、切に嘆くこともある人は、他の事を聞き入れず、人のうれへよろこびをも問はず。問はずとてなどやと恨むる人もなし。されば年もやうやうたけ、病にもまつはれ、況んや世をも遁れたらむ人、亦これに同じかるべし。人間の儀式、いづれの事か去り難からぬ。世俗の黙し難きに従ひて、これを必ずとせば、願ひも多く、身も苦しく、心の暇もなく、一生は雑事の小節にさへられて、空しく暮れなむ。日暮れ道遠し、吾が生既に蹉跎たり、諸縁を放下すべき時なり。信をも守らじ、礼儀をも思はじ。この心を持たざらむ人は、もの狂ひともいへ、現なし、情なしとも思へ、譏るとも苦しまじ、誉むとも聞きいれじ。
-
徒然草・第137段花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころおほけれ。歌の詞書にも、「花見に罷りけるにはやく散り過ぎにければ。」とも、「さはることありて罷らで。」なども書けるは、「花を見て。」といへるに劣れる事かは。花の散り月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊に頑なる人ぞ、「この枝かの枝散りにけり。今は見所なし。」などはいふめる。万の事も始め終りこそをかしけれ。男女の情も、偏に逢ひ見るをばいふものかは。逢はでやみにし憂さをおもひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明し、遠き雲居を思ひやり、浅茅が宿に昔を忍ぶこそ、色好むとはいはめ。望月の隈なきを、千里の外まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ちいでたるが、いと心ふかう、青みたる様にて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、またなくあはれなり。椎柴白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらむ友もがなと、都こひしう覚ゆれ。すべて月花をばさのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨のうちながらも思へるこそ、いと頼もしうをかしけれ。よき人は、偏にすける様にも見えず、興ずる様もなほざりなり。片田舎の人こそ、色濃くよろづはもて興ずれ。花のもとには、ねぢより立ちより、あからめもせずまもりて、酒飮み、連歌して、はては大きなる枝心なく折り取りぬ。泉には手足さしひたして、雪にはおりたちて跡つけなど、万の物、よそながら見る事なし。さやうの人の祭見しさま、いとめづらかなりき。「見ごといとおそし。そのほどは棧敷不用なり。」とて、奥なる屋にて、酒飮みもの食ひ、囲棊双六など遊びて、棧敷には人をおきたれば、「わたり候。」といふときに、おのおの肝つぶるやうに争ひ走りあがりて、落ちぬべきまで、簾張りいでて、押しあひつゝ、一事も見洩らさじとまもりて、とありかゝりと物事にいひて、渡り過ぎぬれば、「又渡らむまで。」といひて降りぬ。唯物をのみ見むとするなるべし。都の人のゆゝしげなるは、眠りていとも見ず。若く末々なるは、宮仕へに立ち居、人の後にさぶらふは、さまあしくも及びかゝらず、わりなく見むとする人もなし。何となく葵かけ渡してなまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する車どものゆかしきを、其か彼かなどおもひよすれば、牛飼下部などの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さまざまに行きかふ、見るもつれづれならず。暮るゝ程には、立て並べつる車ども、所なく並みゐつる人も、いづかたへか行きつらむ、程なく稀になりて、車どものらうがはしさも済みぬれば、簾畳も取り払ひ、目の前に寂しげになり行くこそ、世のためしも思ひ知られて哀れなれ。大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ、かの棧敷の前をこゝら行きかふ人の、見知れるが数多あるにて知りぬ、世の人数もさのみは多からぬにこそ。この人皆失せなむ後、我が身死ぬべきに定まりたりとも、程なく待ちつけぬべし。大きなる器に水を入れて、細き孔をあけたらむに、滴る事少しと云ふとも、怠る間なく漏りゆかば、やがて尽きぬべし。都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。一日に一人二人のみならむや。鳥部野、舟岡、さらぬ野山にも、送る数おほかる日はあれど、送らぬ日はなし。されば柩を鬻ぐもの、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり。今日まで遁れ来にけるは、ありがたき不思議なり。暫しも世をのどかに思ひなむや。まゝ子立といふものを、双六の石にてつくりて、立て並べたる程は、取られむ事いづれの石とも知らねども、数へ当ててひとつを取りぬれば、その外は遁れぬと見れど、またまたかぞふれば、かれこれ間抜き行くほどに、いづれも、遁れざるに似たり。兵の軍にいづるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ身をも忘る。世をそむける草の庵には、しづかに水石をもてあそびて、これを他所に聞くと思へるは、いとはかなし。しづかなる山の奥、無常の敵きほひ来らざらむや。その死に臨めること、軍の陣に進めるにおなじ。
-
徒然草・第11段神無月の頃、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遙かなる苔の細道をふみわけて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉にうづもるゝ筧の雫ならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に、菊紅葉など折りちらしたる、さすがに住む人のあればなるべし。かくても在られけるよと、あはれに見る程に、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわゝになりたるが、まはりを厳しく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばと覚えしか。
-
徒然草・第19段折節のうつり変るこそ、物毎に哀れなれ。物の哀れは秋こそまされと、人毎にいふめれど、それも然るものにて、今一きは心もうきたつものは、春の景色にこそあめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日かげに、垣根の草萌え出づる頃より、やゝ春ふかく霞みわたりて、花もやうやう気色だつほどこそあれ、をりしも雨風うちつゞきて、心あわたゞしく散りすぎぬ。青葉になりゆくまで、万に唯心をのみぞなやます。花橘は名にこそおへれ、なほ梅のにほひにぞ、いにしへの事も立ちかへり恋しう思ひ出でらるゝ。山吹のきよげに、藤のおぼつかなき様したる、すべて思ひすて難きことおほし。 灌仏のころ、祭のころ、若葉の梢すゞしげに繁りゆくほどこそ、世のあはれも人の恋しさもまされと、人のおほせられしこそ、実にさるものなれ。五月、あやめ葺くころ、早苗とるころ、水鶏のたゝくなど、心ぼそからぬかは。六月の頃あやしき家に、夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるもあはれなり。六月祓またをかし。七夕祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒になるほど、鴈なきて来る頃、萩の下葉色づくほど、早稲田刈りほすなど、とり集めたることは秋のみぞおほかる。また野分の朝こそをかしけれ。いひつゞくれば、みな源氏物語、枕草紙などに事ふりにたれど、おなじ事また今更にいはじとにもあらず。おぼしき事云はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝ、あぢきなきすさびにて、かいやり捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。さて冬枯の景色こそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉のちりとゞまりて、霜いと白う置ける朝、遣水より煙のたつこそをかしけれ。年の暮れはてて、人ごとに急ぎあへる頃ぞ、またなくあはれなる。すさまじき物にして見る人もなき月の、寒けく澄める二十日あまりの空こそ、心ぼそきものなれ。御仏名、荷前の使たつなどぞ、あはれにやんごとなき。公事どもしげく、春のいそぎにとり重ねて、催し行はるゝ様ぞいみじきや。追儺より四方拝につゞくこそおもしろけれ。晦日の夜いたう暗きに、松どもともして、夜半すぐるまで、人の門叩き走りありきて、何事にかあらむ、ことごとしくのゝしりて、足を空にまどふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年のなごりも心細けれ。亡き人のくる夜とて魂まつるわざは、このごろ都には無きを、東の方には猶することにてありしこそ、あはれなりしか。かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとは見えねど、ひきかへ珍しき心地ぞする。大路のさま、松立てわたして、花やかにうれしげなるこそ、また哀れなれ。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る