徒然草 / 第4段
後の世のこと心に忘れず、佛の道うとからぬ、心にくし。
新字:後の世のこと心に忘れず、仏の道うとからぬ、心にくし。
書き下し
後の世のこと心に忘れず、仏の道うとからぬ、心にくし。
現代語訳
来世のことを心に忘れず、仏道に疎くない人は、奥ゆかしいものだ。
解説
わずか一文のごく短い段ですが、来世への思いを忘れず、仏道への関心を持ち続ける人を「心にくし」(奥ゆかしい)と評価する、兼好の価値観が凝縮された一段です。ここでの仏道への関心とは、出家して修行に打ち込むことだけを指すのではなく、日々の暮らしの中で死や来世を意識し、目先の欲得だけに心を奪われない態度そのものを指していると考えられます。『徒然草』には無常観を主題とする段が数多くありますが、この短い一文はその総論的な位置づけとも読めます。忙しない日常の中で、自分の人生の終わりや、その先にあるものについて時折立ち止まって考える姿勢は、現代人にとっても、目の前の損得や体裁に振り回されずに生きるための一つの支えになるのではないでしょうか。
この章句が説くこと
心にくし後の世仏道無常観奥ゆかしさ死生観
関連する章句
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徒然草・第58段「道心あらば住む所にしもよらじ、家にあり人に交はるとも、後世を願はむに難かるべきかは。」といふは、更に後世知らぬ人なり。げにはこの世をはかなみ、必ず生死を出でむと思はむに、何の興ありてか、朝夕君に仕へ、家を顧る営みの勇ましからむ。心は縁にひかれて移るものなれば、静かならでは、道は行じがたし。その器昔の人に及ばず、山林に入りても、飢をたすけ、嵐を防ぐよすがなくては、あられぬわざなれば、おのづから世を貪るに似たる事も、便りに触れば、などか無からむ、さればとて、「背けるかひなし。さばかりならば、なじかは捨てし。」なんどいはむは無下の事なり。さすがに一たび道に入りて、世をいとなむ人、たとひ望みありとも、勢ひある人の貪欲多きに似るべからず。紙の衾麻の衣、一鉢のまうけ、藜の羮、いくばくか人の費をなさむ。もとむる所はやすく、その心早く足りぬべし。形に恥づる所もあれば、さはいへど、悪にはうとく、善には近づくことのみぞ多き。人と生れたらむしるしには、いかにもして世を遁れむ事こそあらまほしけれ。偏に貪ることをつとめて、菩提に赴かざらむは、よろづの畜類にかはる所あるまじくや。
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徒然草・第143段人の終焉の有様のいみじかりし事など、人の語るを聞くに、たゞ、「静かにして乱れず。」といはば心にくかるべきを、愚かなる人は、怪しく異なる相を語りつけ、いひし言も挙止も、おのれが好む方に誉めなすこそ、その人の日ごろの本意にもあらずやと覚ゆれ。この大事は、権化の人も定むべからず、博学の士もはかるべからず、おのれ違ふ所なくば、人の見聞くにはよるべからず。
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『玉勝間』四の巻 兼好法師が詞のあげつらひ人の心は、うれしき事は、さしも深くは覚えぬものにて、ただ心にかなわぬ事ぞ、深く身にしみては覚ゆるわざなれば、すべてうれしきを詠める歌には、心深きは少なくて、心にかなわぬすじを、悲しみ憂えたるに、哀れなるは多きぞかし。然りとて、わびしく悲しきを、みやびたりとてねがわむは、人のまことの情ならめや。また同じ法師の、人はよそじに足らで死なむこそ、めやすかるべけれと云えるなどは、中ごろよりこなたの人の、みな歌にも詠み、常にも云うすじにて、命長からん事をねがうをば、心ぎたなき事とし、早く死ぬるを、めやすき事に云い、この世をいとい捨つるを、いさぎよき事とするは、これみな仏の道にへつらえるものにて、多くはいつわりなり。言にこそさも云え、心のうちには、誰かはさは思わむ。たとい、まれまれには、まことに然か思う人の有らんも、もとよりの真心には有らず、仏の教えにまどえるなり。人のまごころは、いかにわびしき身も、早く死なばやとは思わず、命惜しまぬ者は無し。されば万葉などの頃までの歌には、ただ長く生きたらん事をこそねがいたれ、中頃よりこなたの歌とは、その心うらうえなり。
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