徒然草 / 第4段
後の世のこと心に忘れず、佛の道うとからぬ、心にくし。
新字:後の世のこと心に忘れず、仏の道うとからぬ、心にくし。
書き下し
後の世のこと心に忘れず、仏の道うとからぬ、心にくし。
現代語訳
来世のことを心に忘れず、仏道に疎くない人は、奥ゆかしいものだ。
解説
わずか一文のごく短い段ですが、来世への思いを忘れず、仏道への関心を持ち続ける人を「心にくし」(奥ゆかしい)と評価する、兼好の価値観が凝縮された一段です。ここでの仏道への関心とは、出家して修行に打ち込むことだけを指すのではなく、日々の暮らしの中で死や来世を意識し、目先の欲得だけに心を奪われない態度そのものを指していると考えられます。『徒然草』には無常観を主題とする段が数多くありますが、この短い一文はその総論的な位置づけとも読めます。忙しない日常の中で、自分の人生の終わりや、その先にあるものについて時折立ち止まって考える姿勢は、現代人にとっても、目の前の損得や体裁に振り回されずに生きるための一つの支えになるのではないでしょうか。
この章句が説くこと
心にくし後の世仏道無常観奥ゆかしさ死生観
関連する章句
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