徒然草 / 第13段
ひとり燈火のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするこそ、こよなう慰むわざなれ。文は文選のあはれなる卷々、白氏文集、老子のことば、南華の篇。この國の博士どもの書けるものも、いにしへのは、あはれなる事多かり。
新字:ひとり灯火のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするこそ、こよなう慰むわざなれ。文は文選のあはれなる巻々、白氏文集、老子のことば、南華の篇。この国の博士どもの書けるものも、いにしへのは、あはれなる事多かり。
書き下し
ひとり灯火のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするこそ、こよなう慰むわざなれ。文は文選のあはれなる巻々、白氏文集、老子のことば、南華の篇。この国の博士どもの書けるものも、いにしへのは、あはれなる事多かり。
現代語訳
一人、灯火のもとで書物を広げて、会ったこともない昔の人を友とするのは、この上なく心が慰められることである。書物は『文選』のしみじみとした巻々、『白氏文集』、老子の言葉、荘子の篇。我が国の学者たちが書いたものも、昔のものはしみじみとした趣のあることが多い。
解説
読書の喜びを簡潔に語った段です。一人、灯火のもとで書物を広げ、会ったことのない昔の人物を友とすることを「こよなう慰むわざ」と表現し、『文選』のしみじみとした巻々や『白氏文集』、老子の言葉、荘子の篇、さらに日本の学者たちの書いた古い書物にも趣深いものが多いと述べます。ここで挙げられている書物はいずれも中国古典の教養として当時の知識人が親しんでいたものであり、兼好自身の読書歴の一端がうかがえます。孤独の中で書物を通じて過去の人物と対話するという読書観は、現代における読書の意義とも通じるものがあります。会うことのできない人物の思想や感性に触れ、自分の心を慰め豊かにするという営みは、時代を超えて変わらない書物の価値を端的に言い表していると言えるでしょう。
この章句が説くこと
読書文選白氏文集老子南華孤独
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