徒然草 / 第5段
不幸に憂へに沈める人の、頭おろしなど、ふつゝかに思ひとりたるにはあらで、有るか無きかに門さしこめて、待つこともなく明し暮らしたる、さるかたにあらまほし。顯基中納言のいひけむ、「配所の月、罪なくて見む。」こと、さもおぼえぬべし。
新字:不幸に憂へに沈める人の、頭おろしなど、ふつゝかに思ひとりたるにはあらで、有るか無きかに門さしこめて、待つこともなく明し暮らしたる、さるかたにあらまほし。顕基中納言のいひけむ、「配所の月、罪なくて見む。」こと、さもおぼえぬべし。
書き下し
不幸に憂へに沈める人の、頭おろしなど、ふつゝかに思ひとりたるにはあらで、有るか無きかに門さしこめて、待つこともなく明し暮らしたる、さるかたにあらまほし。顕基中納言のいひけむ、「配所の月、罪なくて見む。」こと、さもおぼえぬべし。
現代語訳
不幸な身の上を嘆き悲しんでいる人が、出家などを軽々しく思い立つのではなく、あるかなきかのように門を閉ざしこめて、何を待つでもなく日々を過ごしているのは、そうありたいものだ。顕基中納言が言ったという、「流罪の地で見る月を、罪もないのに見てみたいものだ」ということも、いかにもそうであろうと思われる。
解説
不幸に沈んだ人が、出家を軽々しく思い立つのではなく、ひっそりと門を閉ざして静かに日々を送ることこそ好ましいとする段です。顕基中納言(源顕基)が語ったとされる「配所の月、罪なくて見む」―罪もないのに流罪の地で月を眺めてみたい、という言葉を引き、悲運を大げさに嘆くのではなく、静かに受け止める心のありようを称えています。当時、不遇に陥った貴族が出家することは一種の型でしたが、兼好はそれを性急に飾り立てて行うことより、目立たず内省的に過ごす姿に美しさを見出しています。逆境に置かれたときに、周囲に訴えたり劇的に振る舞ったりするのではなく、静かにその境遇と向き合う姿勢は、現代のつらい状況にある人にとっても、一つの心の持ちようとして参考になるのではないでしょうか。
この章句が説くこと
顕基中納言配所の月出家不幸静かな受容無常観