都鄙問答 / 卷之四・或人天地開闢ノ說ヲ譏ノ段
答、汝ノ云ヘル如ク、此說ヲ世ニ疑人多シ、然レドモ此所ハ、性理ニ味キ者ノ、窺知ベキ所ニアラズ、然ルニコレヲ奇怪ノ說ト云ヘルハ、聖德太子舍人親王ヨリモ、汝ガ器量ハマサレリト思ハレ候ヤ、曰、我ラ如キガ、此旁ニ及ベキコトニ非ズ、然レドモ天地開闢ノ說ハ、奇怪ノ說ナリ、
新字:答、汝ノ云ヘル如ク、此説ヲ世ニ疑人多シ、然レドモ此所ハ、性理ニ味キ者ノ、窺知ベキ所ニアラズ、然ルニコレヲ奇怪ノ説ト云ヘルハ、聖徳太子舎人親王ヨリモ、汝ガ器量ハマサレリト思ハレ候ヤ、曰、我ラ如キガ、此旁ニ及ベキコトニ非ズ、然レドモ天地開闢ノ説ハ、奇怪ノ説ナリ、
書き下し
答、汝の云へる如く、此の説を世に疑ふ人多し。然れども此の所は、性理に味き者の、窺ひ知るべき所にあらず。然るにこれを奇怪の説と云へるは、聖徳太子・舎人親王よりも、汝が器量はまされりと思はれ候や。曰く、我ら如きが、此の旁に及ぶべきことに非ず。然れども天地開闢の説は、奇怪の説なり。
現代語訳
梅岩は答えます。「あなたの言うとおり、この説を疑う人は世に多いものです。しかし、ここは性理(人の本性と天の理)に暗い者がうかがい知れるところではありません。それなのにこれを怪しい説と言うのは、聖徳太子や舎人親王よりも、自分の器量のほうが勝っていると思っておられるのですか」。問う人は言います。「私どもが、あの方々に及ぶはずはありません。けれども、天地開闢の説はやはり怪しい説です」。
解説
梅岩はまず、説そのものの真偽ではなく、疑う側の姿勢を問います。国史の編纂に関わったとされる聖徳太子や、日本書紀を撰進した舎人親王より、自分の見識が上だと思うのか、というのです。問う人はその人物たちに及ばないと認めながら、それでも説は怪しいと譲りません。偉い人が書いたから正しい、という論法への反発は健全です。梅岩はここから、権威ではなく「なぜそう書かれたのか」を考える方向へ話を進めていきます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
性理古人器量疑い権威
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