都鄙問答 / 卷之四・或人天地開闢ノ說ヲ譏ノ段
或人問曰、日本紀神代卷ニ、天地未剖陰陽不分、渾沌如雞子、溟滓而含牙、及其淸陽者爲天、重濁者爲地、神聖生其中、于時天地ノ中、生一物、狀如葦牙、便化爲神、號國常立尊ト見ヘタリ、此奇怪說ナリ、若世ニ人有テ、天地未闢前ニ生レ、壽ヲ得ルコト數百億萬歲ニシテ親視、コレヲ後ノ人ニ傳ヘシヤ、傳ヘナク、元來跡形モ知レザルコトナレバ、實ニコレ奇怪ナル說ニアラズヤ、汝ハ如何心得居ラレ候ヤ、
新字:或人問曰、日本紀神代巻ニ、天地未剖陰陽不分、渾沌如鶏子、溟滓而含牙、及其清陽者為天、重濁者為地、神聖生其中、于時天地ノ中、生一物、状如葦牙、便化為神、号国常立尊ト見ヘタリ、此奇怪説ナリ、若世ニ人有テ、天地未闢前ニ生レ、寿ヲ得ルコト数百億万歳ニシテ親視、コレヲ後ノ人ニ伝ヘシヤ、伝ヘナク、元来跡形モ知レザルコトナレバ、実ニコレ奇怪ナル説ニアラズヤ、汝ハ如何心得居ラレ候ヤ、
書き下し
或人問ひて曰く、日本紀神代巻に、天地未だ剖れず、陰陽分れず、渾沌として雞子の如く、溟滓にして牙を含めり。其の清陽なる者は天と為り、重濁なる者は地と為るに及びて、神聖其の中に生る。時に天地の中に、一物生ず。状葦牙の如し。便ち化して神と為る。国常立尊と号すと見へたり。此れ奇怪の説なり。若し世に人有りて、天地未だ闢けざる前に生れ、寿を得ること数百億万歳にして親しく視、これを後の人に伝へしや。伝へなく、元来跡形も知れざることなれば、実にこれ奇怪なる説にあらずや。汝は如何心得居られ候や。
現代語訳
ある人が尋ねました。「『日本書紀』神代巻に、天地がまだ分かれず、陰陽も分かれず、混沌として鶏の卵のようで、ほの暗い中に芽を含んでいた。その澄んで明るいものが天となり、重く濁ったものが地となると、その中に神が生まれた。そのとき天地の中に一つの物が生じ、形は葦の芽のようで、たちまち神となった。国常立尊という、とあります。これは怪しい説です。もし天地が開ける前に生まれ、数百億万年の寿命を得て、自分の目で見て後の人に伝えた人がいるのでしょうか。伝えた者もなく、もとより跡形も知れないことなのですから、本当に怪しい説ではありませんか。あなたはどう心得ておられますか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『都鄙問答』卷之四・或人天地開闢ノ說ヲ譏ノ段答、太子・親王は、聖徳御座して、世に賢く渡らせたまひ、書き伝へ、我が朝の記録となし玉ふは、如何なることぞと心を付くべし。此の御旁、天地未だ開けず、渾然たる時有りて、其の時にも人有りと思し召し玉ふべきや。今日短才の者にても、箇程のことは知るぞかし。其れに心をつけざるは、愚昧の者にあらずや。神聖其の中に生るとある其の神は、今日に至りても在すや在さざるや。在さずば、今は神国とは云はれまじ。在さば何れに在すぞ。其の時には見はれ在し、今は隠れ在すかと、黙して心を尽さば、夜の暁くる時節あるべし。汝は自心のくらきことを知らずして、心の明らかなる親王の、筆記し玉ふ書を廃せんと思ふは、暗夜に灯火を以て、天を窺ふが如し。扠我も前つかたは、天地未だ闢けずの説を非として、
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『都鄙問答』卷之四・或人天地開闢ノ說ヲ譏ノ段答、汝の云へる如く、此の説を世に疑ふ人多し。然れども此の所は、性理に味き者の、窺ひ知るべき所にあらず。然るにこれを奇怪の説と云へるは、聖徳太子・舎人親王よりも、汝が器量はまされりと思はれ候や。曰く、我ら如きが、此の旁に及ぶべきことに非ず。然れども天地開闢の説は、奇怪の説なり。
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『都鄙問答』卷之四・或人天地開闢ノ說ヲ譏ノ段如何なることぞ。皆象を仮りて義を顕はす。其の体は微妙の理にして、見るべきにあらず。見へざれば、左にあらずと云ひて、古人の書を破り舎てんや。天地未だ闢けずの説、又天は子に闢くるの説、是れ皆天地は、自然の次第なることを、知らしめん為なりと知らるべし。我が性を知りて、万事の説を見ば、掌を見る如く、昭然として疑ひなかるべし。今草木の生ひ出づるを見れば、始めは種土中に有りて、渾じて分れず。それより錐の先の如くに成るは、自然に陽の形にして、皆葦牙の如くなり。二葉に分るるは、平らにして陰の形なり。二葉の中より心の立ち出づるは、陰より出づるの陽なり。其の草木梢に至るまで、陰陽陰陽と生々す。易の上繋辞伝に、天一地二天三地四天五地六天七地八天九地十と説き玉ふ。
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『都鄙問答』卷之四・或人天地開闢ノ說ヲ譏ノ段是にて陰陽陰陽と、生成して止まざることを知るべし。天は一、地は二、万物は三、天地有りて後の万物なり。人は万物の霊なるゆへに、万物を人に総合し、三に生ずるゆへに、人は寅に生ずとも云ふべし。又人、母の胎内に宿る時は、一滴の水なり。是れ雞の子の如くにして、牙を含めり。其の中に清陽なる者、虚にして心となるは、天の開くるなり。重濁なる者形となるは、地の闢くるなり。頭の形の高きは、葦牙の如しとも云ふべし。是くの如く見ば、天地開闢の理は、我が一身にも具はれり。此れを味はひ見ば、天地の始終は、古今共に同じ。それを今此の上下の天地、ひらけ始まること有りとの玉ひしことと、一概に見なし、又天は子に闢くるの、地は丑に闢くるの、人は寅に生るるのと、字面にかかわり、
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『都鄙問答』卷之四・或人天地開闢ノ說ヲ譏ノ段其の継ぐ者を知り得れば、忽ちに疑ひは晴るる者なり。天地未だ闢けずの説、又天は子に闢け、地は丑に闢け、人は寅に生るなどの説も、怪しきに似たれども、皆々当る所あり。夫を辞に泥むこと有りては、書は見へざる者なり。易の卦を以て、月に配して云ふ時は、十月は純陰なり。十一月冬至の日、一陽来復するといへども、天地の間に、何方を見ればとて、是に一陽来れりとも見へず。初陽は潜みかくるるゆへに、見へずと云はば、正月には三陽生じて、花咲き鳥鳴くといへども、其の体は見へず。又乾は龍となし、坤は牝馬となし、陰陽を龍と馬とに喩ふ。是も文字に泥み、陰陽は直に龍馬なりと云ふべきや。周公旦の譬へは疑はず、親王の譬へに、状葦牙の如しと説き玉ふことを疑ふは、
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段又山に嚮ひしかば、則ち毛の麁もの毛の柔もの亦口より出づと見えたり。保食神の口とは、如何なる口ぞと工夫すべし。天神地祇は、かくの如く自由なる御神なり。その自由の口より生ずるゆゑに、生ずる物も又自由なり。譬へば蝉は口に声なくして、脇の下に声ある者なりともいへり。口もあるべけれども、何方とも見分けがたし。春夏空に飛ぶ小虫などを見れば、何を食ふとも見えずして、飢うることなく、虚空に生じて虚空に死すや、出所を知らざるもの多し。此の類を推して、保食神の口を味はふべし。是を以て見れば、今日の万民世渡りのことは、定まりある者なり。衆人はこれ有ることを知らず。然るを万物の上について、万物の迹を見て、教へを立て給ふ。其の教へ直に天に有るゆゑに、古今変らず。天は物を生じ与へて、