都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段
又嚮山則毛麁毛柔亦自口出ト見ヘタリ、保食神ノ口トハ、如何ナル口ゾト工夫スベシ、天神地祇ハ、如斯自由ナル御神ナリ、ソノ自由ノ口ヨリ生ズルユヘニ、生ズル物モ又自由ナリ、譬バ蟬ハ口ニ聲ナクシテ、脇ノ下ニ聲アル者ナリトモイヘリ、口モアルベケレドモ、何方トモ見分ガタシ、春夏空ニ飛小蟲ナドヲ見レバ、何ヲ食フトモ見ヘズシテ、飢ルコトナク、虛空ニ生ジテ虛空ニ死スヤ、出所ヲ不知モノ多シ、此類ヲ推テ、保食神ノ口ヲ味フベシ、是ヲ以テ見レバ、今日ノ萬民世渡リノコトハ、定リアル者ナリ、衆人ハコレ有コトヲ不知、然ルヲ萬物ノ上ニツイテ、萬物ノ迹ヲ見テ、敎ヲ立玉フ、其敎直ニ天ニ有ユヘニ、古今變ラズ、天ハ物ヲ生ジ與ヘテ、
新字:又嚮山則毛麁毛柔亦自口出ト見ヘタリ、保食神ノ口トハ、如何ナル口ゾト工夫スベシ、天神地祇ハ、如斯自由ナル御神ナリ、ソノ自由ノ口ヨリ生ズルユヘニ、生ズル物モ又自由ナリ、譬バ蝉ハ口ニ声ナクシテ、脇ノ下ニ声アル者ナリトモイヘリ、口モアルベケレドモ、何方トモ見分ガタシ、春夏空ニ飛小虫ナドヲ見レバ、何ヲ食フトモ見ヘズシテ、飢ルコトナク、虚空ニ生ジテ虚空ニ死スヤ、出所ヲ不知モノ多シ、此類ヲ推テ、保食神ノ口ヲ味フベシ、是ヲ以テ見レバ、今日ノ万民世渡リノコトハ、定リアル者ナリ、衆人ハコレ有コトヲ不知、然ルヲ万物ノ上ニツイテ、万物ノ迹ヲ見テ、教ヲ立玉フ、其教直ニ天ニ有ユヘニ、古今変ラズ、天ハ物ヲ生ジ与ヘテ、
書き下し
又山に嚮ひしかば、則ち毛の麁もの毛の柔もの亦口より出づと見えたり。保食神の口とは、如何なる口ぞと工夫すべし。天神地祇は、かくの如く自由なる御神なり。その自由の口より生ずるゆゑに、生ずる物も又自由なり。譬へば蝉は口に声なくして、脇の下に声ある者なりともいへり。口もあるべけれども、何方とも見分けがたし。春夏空に飛ぶ小虫などを見れば、何を食ふとも見えずして、飢うることなく、虚空に生じて虚空に死すや、出所を知らざるもの多し。此の類を推して、保食神の口を味はふべし。是を以て見れば、今日の万民世渡りのことは、定まりある者なり。衆人はこれ有ることを知らず。然るを万物の上について、万物の迹を見て、教へを立て給ふ。其の教へ直に天に有るゆゑに、古今変らず。天は物を生じ与へて、
現代語訳
「山に向かうと大小の獣が口から出た」とあります。保食神の口とはどんな口なのか、よく考えてみなさい。天地の神々はこのように自由な神です。その自由な口から生じるので、生じる物もまた自由です。たとえば蝉は口ではなく脇の下で鳴くとも言います。口もあるのでしょうが、どこにあるか見分けがたい。春夏に空を飛ぶ小さな虫を見ると、何を食べているとも見えないのに飢えることなく、空に生まれ空に死ぬのか、出どころの分からないものが多い。こうした例から推して、保食神の口を味わいなさい。こう見れば、今日の人々の暮らしぶりには定まりがあるのです。多くの人はそれがあることを知りません。聖人は万物について、その跡を見て教えを立てられました。その教えはそのまま天にあるので、昔も今も変わりません。天は物を生み与えて、
解説
この章句が説くこと
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『都鄙問答』卷之二・禪僧俗家ノ殺生ヲ譏ノ段万物に、天の賦し与ふる理は同じといへども、形に貴賤あり。貴きが賤きを食ふは、天の道なり。又仏氏には、草木国土悉皆成仏といへば、万物皆仏なり。然れども形に貴賤あり。貴き人間仏が、賤き五穀仏、果仏より、水火仏までを喰ふて、世界は立ものなり。此理を知らば、聖人の物を用ひ玉ふは、貴きと賤きとは礼を以て分つ、貴き者の為に、賤き者を用ゆることを知るべし。証を以ていはゞ、君は貴く臣は賤し。賤き臣、貴き君にかはり死することを聞、貴き君の、賤き臣下の身に代り死たる者を未聞。此賤きが、貴きにかはるは、天地の道にして、全君の私にあらず。聖人物を用ゆるに、礼を以てし玉ふは、即此所なり。此故に、
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『都鄙問答』卷之四・或人天地開闢ノ說ヲ譏ノ段如何なることぞ。皆象を仮りて義を顕はす。其の体は微妙の理にして、見るべきにあらず。見へざれば、左にあらずと云ひて、古人の書を破り舎てんや。天地未だ闢けずの説、又天は子に闢くるの説、是れ皆天地は、自然の次第なることを、知らしめん為なりと知らるべし。我が性を知りて、万事の説を見ば、掌を見る如く、昭然として疑ひなかるべし。今草木の生ひ出づるを見れば、始めは種土中に有りて、渾じて分れず。それより錐の先の如くに成るは、自然に陽の形にして、皆葦牙の如くなり。二葉に分るるは、平らにして陰の形なり。二葉の中より心の立ち出づるは、陰より出づるの陽なり。其の草木梢に至るまで、陰陽陰陽と生々す。易の上繋辞伝に、天一地二天三地四天五地六天七地八天九地十と説き玉ふ。
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