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都鄙問答 / 卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段

總ジテ奢者貧身トナルトキハ、恥ヲ不知、盜ヲモナスニ至ル、又身ノ程ヲ知テ、約ヲ守ル時ハ法ニ合フ、ユヘニ安カルベシ、孔子又曰、麻冕禮也、今也純儉、吾從衆拜下禮也、今拜乎上泰也、雖違衆吾從下ト、君子ノ世ニ處スル事ノ、義ニ害ナキコトハ、世俗ニ從テモ可ナリ、義ニ害アルコトハ、從フベカラズトノ玉フ、奢ノ害ヨリ大ナルハナシ、又天地ノ冬ニ至、枯槁屈ハ、春ニ至リ伸所ノ兆ナリ、聖人ノ約ヲ本トシ、奢ヲ退ケ玉フハ、凶年ナドノ時ハ、溜置ル財寶ヲ、國々ヘ布施ント思召、民ノ爲ノ儉約ナルコトヲ知ルベシ、如斯類ヲ法トシテ、下々モ、一家ノ頭タル者ハ、親類中ヲ我家ノ如ク思ヒ、難義アレバ救コトヲ、我役目ト思フ者ナラバ、

新字:総ジテ奢者貧身トナルトキハ、恥ヲ不知、盗ヲモナスニ至ル、又身ノ程ヲ知テ、約ヲ守ル時ハ法ニ合フ、ユヘニ安カルベシ、孔子又曰、麻冕礼也、今也純倹、吾従衆拝下礼也、今拝乎上泰也、雖違衆吾従下ト、君子ノ世ニ処スル事ノ、義ニ害ナキコトハ、世俗ニ従テモ可ナリ、義ニ害アルコトハ、従フベカラズトノ玉フ、奢ノ害ヨリ大ナルハナシ、又天地ノ冬ニ至、枯槁屈ハ、春ニ至リ伸所ノ兆ナリ、聖人ノ約ヲ本トシ、奢ヲ退ケ玉フハ、凶年ナドノ時ハ、溜置ル財宝ヲ、国々ヘ布施ント思召、民ノ為ノ倹約ナルコトヲ知ルベシ、如斯類ヲ法トシテ、下々モ、一家ノ頭タル者ハ、親類中ヲ我家ノ如ク思ヒ、難義アレバ救コトヲ、我役目ト思フ者ナラバ、

書き下し

総じて奢る者貧しき身となるときは、恥を知らず、盗みをもなすに至る。又身の程を知りて、約を守る時は法に合ふ、ゆへに安かるべし。孔子又曰く、麻冕は礼なり、今や純なるは倹なり、吾は衆に従はん。下に拝するは礼なり、今上に拝するは泰なり、衆に違ふと雖も吾は下に従はんと。君子の世に処する事の、義に害なきことは、世俗に従ひても可なり。義に害あることは、従ふべからずと宣ふ。奢の害より大なるはなし。又天地の冬に至り、枯れ槁れて屈するは、春に至り伸ぶる所の兆しなり。聖人の約を本とし、奢を退け玉ふは、凶年などの時は、溜め置ける財宝を、国々へ布き施さんと思し召す、民の為の倹約なることを知るべし。斯くの如き類を法として、下々も、一家の頭たる者は、親類中を我が家の如く思ひ、難義あれば救ふことを、我が役目と思ふ者ならば、

現代語訳

およそ、ぜいたくな者が貧しい身になると、恥を知らず、盗みまでするようになります。また身のほどを知って倹約を守れば決まりにかない、だから安らかでいられるのです。孔子はまた『麻の冠が礼にかなうが、今は絹の冠で倹約している。私は大勢に従おう。堂の下で拝礼するのが礼だが、今は堂の上で拝礼していて、これはおごりだ。大勢に背いても、私は下で拝礼しよう』と言われました。君子が世に処するには、義を害しないことは世俗に従ってもよいが、義を害することには従ってはならない、ということです。ぜいたくの害より大きなものはありません。また天地が冬になって草木が枯れ縮むのは、春になって伸びる兆しです。聖人が倹約を本とし、ぜいたくを退けられるのは、凶作の年などに、蓄えた財宝を国々に行き渡らせようとお考えだからで、民のための倹約なのだと知るべきです。こうした例を手本として、庶民でも一家の長である者が、親類を自分の家のように思い、困ったことがあれば救うのを自分の役目と思うなら、

解説

梅岩は『論語』子罕篇の「麻冕は礼なり」の章を引き、義を害しないことは世俗に従ってよいが、義を害することには大勢に背いても従わない、という判断の基準を示します。そして奢りほど大きな害はないと言います。冬に草木が縮むのは春に伸びる兆しであるように、聖人の倹約は凶年に民へ施すための蓄えだ、というたとえが印象的です。一家の長が親類の難儀を救う役目を自覚すれば、倹約は自然に出てくる、と次の単位へつなげます。

この章句が説くこと

倹約世俗論語備え

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