都鄙問答 / 卷之一・商人ノ道ヲ問ノ段
且天下ノ財寶ヲ通用シテ、萬民ノ心ヲヤスムルナレバ、天地四時流行シ、萬物育ハルヽト同ク相合ン、如此シテ、富山ノ如クニ至ルトモ、欲心トハイフベカラズ、欲心ナクシテ、一錢ノ費ヲ惜ミ、靑砥左衞門ガ、五十錢ヲ散シテ、十錢ヲ、天下ノ爲ニ惜マレシ心ヲ味フベシ、如此ナラバ、天下公ノ儉約ニモカナヒ、天命ニ合フテ福ヲ得ベシ、福ヲ得テ、萬民ノ心ヲ安ンズルナレバ、天下ノ百姓トイフモノニテ、常ニ天下大平ヲ祈ルニ同ジ、且御法ヲ守リ、我身ヲ敬ムベシ、商人トイフトモ、聖人ノ道ヲ不知バ、同金銀ヲ設ケナガラ、不義ノ金銀ヲ設ケ、子孫ノ絕ユル理ニ至ルベシ、實ニ子孫ヲ愛セバ、道ヲ學テ榮ルコトヲ致スベシ、
新字:且天下ノ財宝ヲ通用シテ、万民ノ心ヲヤスムルナレバ、天地四時流行シ、万物育ハルヽト同ク相合ン、如此シテ、富山ノ如クニ至ルトモ、欲心トハイフベカラズ、欲心ナクシテ、一銭ノ費ヲ惜ミ、青砥左衛門ガ、五十銭ヲ散シテ、十銭ヲ、天下ノ為ニ惜マレシ心ヲ味フベシ、如此ナラバ、天下公ノ倹約ニモカナヒ、天命ニ合フテ福ヲ得ベシ、福ヲ得テ、万民ノ心ヲ安ンズルナレバ、天下ノ百姓トイフモノニテ、常ニ天下大平ヲ祈ルニ同ジ、且御法ヲ守リ、我身ヲ敬ムベシ、商人トイフトモ、聖人ノ道ヲ不知バ、同金銀ヲ設ケナガラ、不義ノ金銀ヲ設ケ、子孫ノ絶ユル理ニ至ルベシ、実ニ子孫ヲ愛セバ、道ヲ学テ栄ルコトヲ致スベシ、
書き下し
且つ天下の財宝を通用して、万民の心をやすむるなれば、天地四時流行し、万物育はるると同じく相合はん。此の如くして、富山の如くに至るとも、欲心とはいふべからず。欲心なくして、一銭の費えを惜しみ、青砥左衛門が、五十銭を散じて、十銭を、天下の為に惜しまれし心を味はふべし。此の如くならば、天下公の倹約にもかなひ、天命に合うて福を得べし。福を得て、万民の心を安んずるなれば、天下の百姓といふものにて、常に天下大平を祈るに同じ。且つ御法を守り、我が身を敬むべし。商人といふとも、聖人の道を知らずば、同じ金銀を設けながら、不義の金銀を設け、子孫の絶ゆる理に至るべし。実に子孫を愛せば、道を学びて栄ゆることを致すべし。
現代語訳
しかも商人は天下の財宝を行き渡らせ、すべての人の暮らしを安らかにするのですから、天地の四季がめぐって万物が育つのと同じ働きに合っています。このようにして富が山のように積もったとしても、それを欲心と言ってはなりません。欲心なしに一銭の無駄を惜しみ、青砥左衛門が五十銭を使ってまで川に落とした十銭を天下のために惜しんだ心を、よく味わいなさい。そうすれば天下全体の倹約にもかない、天命に合って福を得るでしょう。福を得てすべての人の心を安らかにするのですから、天下の民の一人として、いつも天下泰平を祈っているのと同じです。そのうえでお上の法を守り、わが身を慎みなさい。商人であっても聖人の道を知らなければ、同じ金銀を儲けながら不義の金銀を儲けることになり、子孫が絶える道理に行き着きます。本当に子孫を愛するなら、道を学んで家を栄えさせることに努めなさい。」
解説
この章句が説くこと
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『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段古人は道徳明らかなるゆへに、人是れを感心して、宮寺を建立せしことゝ相見ゆ。然れば今日にても、道徳あきらかにして、人を教へ導き、旦那も此の人の教へによりて、心も安楽に成り、又生死疑ひなくならば、其の人奉加帳は出さずとも、如何やうの社堂にても建つべし。古今ともに、人の心は天の命ずる所なり、何ぞ替りあらんや。又宮寺の奉加と云ふとも、毛筋ほども人欲勝手あらば、此れ不義の類なり。汝の親方の正しき心にて、其の不義に与せんや。奉加につかざるにはあらず、只不義に与せざるなり。死後何に生れんと思ふ心、なんぞ有らんや。今日の義を行ひ、明日のことは、天命にまかす志しと見えたり。孟子曰く、夭寿貳はず、身を修めて以て之を俟つと。来るも天に任せ、帰るも亦天に任す、此の間に私意を入れんや。当世に異なるにはあらず、当世の人が、法式を越え、聖人の教へに異なり。汝の今の親方は、聖人の教へを能く守れる人なり。
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論語・季氏篇斉の景公、馬千駟有り。死するの日、民徳として称する無し。伯夷・叔斉、首陽の下に餓う。民今に到るまで之を称す。其れ斯を之謂うか。
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論語・述而篇子曰く、富にして求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従わん。
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『武士道』第七章 至誠信實・富の道は名誉の道に非ず然るに聞く、米国の如き実業国に於てすら、実業家中、十の八は破産せざるなしと。されば士族の商業の能く成功したるもの、百人にして一人を算ふるも、亦た敢て驚くに足らず。要するに武士道の道義を商業に施さんと欲して、為に蕩尽したる財産の数量は、殆ど計るべからざるものあらん。識見ある士人の、直ちに富の道は名誉の道に非ざるを認めたるも、亦た宜なりと謂ふべし。この二者の道の由つて岐るる処は、果していづれにありや。レッキーがかつて誠実の誘因として挙げたる実業、政治、哲学の三者中、其一は武士道全く之を欠き、其二は封建制度の政治社会に在りて、殆ど此れが発達を見ること能はざりき。而して誠実信義の徳の、士林の道徳範囲に於て其重きをなすに至りたる所以は、其哲学的誘因に由れるものにして、即ちレッキーの所謂、至高の形態に於て発達したるものなり。
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徒然草・第217段ある大福長者の曰く、「人は万をさしおきて、一向に徳をつくべきなり。貧しくては生けるかひなし。富めるのみを人とす。徳をつかむとおもはば、すべからくまづその心づかひを修行すべし。その心といふは他の事にあらず。人間常住の思ひに住して、仮にも無常を観ずる事なかれ。これ第一の用心なり。次に万事の用をかなふべからず。人の世にある、自他につけて所願無量なり。欲に従ひて志を遂げむと思はば、百万の銭ありといふとも、しばらくも住すべからず。所願は止むときなし。財は尽くる期あり。かぎりある財をもちてかぎりなき願ひに従ふこと、得べからず。所願心に兆すことあらば、われを亡すべき悪念きたれりと、かたく慎みおそれて、小用をもなすべからず。次に、銭を奴の如くしてつかひ用ゐるものと知らば、長く貧苦を免るべからず。君の如く神のごとくおそれ尊みて、従へ用ゐることなかれ。次に恥にのぞむといふとも、怒り怨むる事なかれ。次に正直にして、約をかたくすべし。この義を守りて利をもとめむ人は、富の来ること、火の乾けるに就き、水の下れるに従ふが如くなるべし。銭つもりて尽きざるときは、宴飮声色を事とせず、居所をかざらず、所願を成ぜざれども、心とこしなへに安く楽し。」と申しき。そもそも人は所願を成ぜむがために財をもとむ。銭を財とする事は、願ひをかなふるが故なり。所願あれどもかなへず、銭あれども用ゐざらむは、全く貧者とおなじ。何をか楽しびとせむ。このおきてはたゞ人間の望みを絶ちて、貧を憂ふべからずと聞えたり。欲をなして楽しびとせむよりは、しかじ財なからむには。癰疽を病む者、水に洗ひて楽しびとせむよりは、病まざらむには如かじ。こゝに至りては、貧富分くところなし。究竟は理即にひとし。大欲は無欲に似たり。
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論語・学而篇子貢曰く、「貧しくして諂うこと無く、富みて驕ること無きは如何。」子曰く、「可なり。未だ貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好む者には若かざるなり。」子貢曰く、「詩に云う、『切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し』と。其れ斯を之謂うか。」子曰く、「賜や、始めて与に詩を言う可きのみ。諸に往を告げて来を知る者なり。」