都鄙問答 / 卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段
曰、宮寺ノ奉加ヤ建立ゴトハ嫌ニテ、死後ニハ何ニ生レント思ハルヽヤ、曾テ後世ノ善事ハセラレズ、兔角當世ニ異ナリ、答、段々ノ問ニ因テ見レバ、汝ノ親方ノ信心ニ合フ程ノ、德有神主ヤ出家ガ無ユヘト見ヘタリ、宮寺ノ建立ゴト嫌ルヽトハ不見、先古ノ樣子ヲ考ヘ見レバ、宮寺ヲ建タキト云テ、奉加帳ヲ旦那ノ家々ヘ持來リ、イヤガル旦那ニ奉加ヲスヽメテ、金銀ヲ出サセ、其金銀ヲ持テ建立セラレタル、神主開山方ハ有マジ、皆々德有故ニ、神道佛道ノ棟梁ト成レリ、神ノ御心ヲ云ハヾ、常ニ供シ奉ル者ナク、金石ヲ食スル共、常ニ心ノ濁リ穢シ人ノ捧ル者ハ受ズト、八幡宮ノ御神託ニアラズヤ、其ニ氏子ノ志ナキ金銀ヲ、慈悲正直ノ神、受テ喜玉フベキヤ、
新字:曰、宮寺ノ奉加ヤ建立ゴトハ嫌ニテ、死後ニハ何ニ生レント思ハルヽヤ、曽テ後世ノ善事ハセラレズ、兔角当世ニ異ナリ、答、段々ノ問ニ因テ見レバ、汝ノ親方ノ信心ニ合フ程ノ、徳有神主ヤ出家ガ無ユヘト見ヘタリ、宮寺ノ建立ゴト嫌ルヽトハ不見、先古ノ様子ヲ考ヘ見レバ、宮寺ヲ建タキト云テ、奉加帳ヲ旦那ノ家々ヘ持来リ、イヤガル旦那ニ奉加ヲスヽメテ、金銀ヲ出サセ、其金銀ヲ持テ建立セラレタル、神主開山方ハ有マジ、皆々徳有故ニ、神道仏道ノ棟梁ト成レリ、神ノ御心ヲ云ハヾ、常ニ供シ奉ル者ナク、金石ヲ食スル共、常ニ心ノ濁リ穢シ人ノ捧ル者ハ受ズト、八幡宮ノ御神託ニアラズヤ、其ニ氏子ノ志ナキ金銀ヲ、慈悲正直ノ神、受テ喜玉フベキヤ、
書き下し
曰く、宮寺の奉加や建立ごとは嫌ひにて、死後には何に生れんと思はるゝや、曾て後世の善事はせられず、兎角当世に異なり。答ふ、段々の問ひに因りて見れば、汝の親方の信心に合ふ程の、徳有る神主や出家が無きゆへと見えたり。宮寺の建立ごと嫌はるゝとは見えず。先づ古の様子を考へ見れば、宮寺を建てたきと云つて、奉加帳を旦那の家々へ持ち来り、いやがる旦那に奉加をすゝめて、金銀を出させ、其の金銀を持ちて建立せられたる、神主開山方は有るまじ。皆々徳有る故に、神道仏道の棟梁と成れり。神の御心を云はゞ、常に供し奉る者なく、金石を食する共、常に心の濁り穢れし人の捧ぐる者は受けずと、八幡宮の御神託にあらずや。其れに氏子の志なき金銀を、慈悲正直の神、受けて喜び玉ふべきや。
現代語訳
問う人が言いました。「寺社への寄付や建立のことは嫌いで、死んだら何に生まれるつもりなのか、後世のための善い行いは一向になさいません。とにかく当世の人と違っています。」梅岩は答えました。「これまでのお尋ねから見ると、あなたの主人の信心にかなうほどの、徳のある神主や僧がいないからだと見えます。寺社の建立を嫌っておられるとは見えません。まず昔の様子を考えてみると、寺社を建てたいと言って寄付の帳面を檀家の家々へ持ち込み、嫌がる檀家に寄付を勧めて金銀を出させ、その金銀で建立した神主や開山はいなかったでしょう。みな徳があったから、神道や仏道の棟梁となったのです。神の御心について言えば、『常にお供えする者がなく、金や石を食べることになろうとも、心の濁り穢れた人の捧げ物は受けない』というのが八幡宮の御神託ではありませんか。それなのに氏子の心のこもらない金銀を、慈悲と正直の神が受けて喜ばれるでしょうか。
解説

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