都鄙問答 / 卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段
汝ガ親方ノ、欲心ヲ離テ金銀ヲ出シ、人ヲ救ハルヽハ、聖人ノ御志ニ能合ヘリ、或田舍ニ、其所ニテハ內福ナル人アリ、此人親類中ヘ金銀ヲ貸ニ、借ニ來ル人アレバ貸レケルガ、戾ス覺ヘアラバ遣レヨ、此方金貸ハ家業ニセズ、因テ利足ハ取ラズト云テ貸レケリ、是程ノ人サヘ稀ナルニ、汝ノ親方ハ、先方ノ算用不足スル訣ヲ聞屆、道理ノ立タル不足ナレバ、何カヘスト云コトヲカマハズシテ貸ルヽナレバ、合力金ト云者ニテ、取反スト云心ヲ離タル仕方ニテ、天下ニ飢人ヲ救玉フニ似タル者ナリ、
新字:汝ガ親方ノ、欲心ヲ離テ金銀ヲ出シ、人ヲ救ハルヽハ、聖人ノ御志ニ能合ヘリ、或田舎ニ、其所ニテハ内福ナル人アリ、此人親類中ヘ金銀ヲ貸ニ、借ニ来ル人アレバ貸レケルガ、戻ス覚ヘアラバ遣レヨ、此方金貸ハ家業ニセズ、因テ利足ハ取ラズト云テ貸レケリ、是程ノ人サヘ稀ナルニ、汝ノ親方ハ、先方ノ算用不足スル訣ヲ聞届、道理ノ立タル不足ナレバ、何カヘスト云コトヲカマハズシテ貸ルヽナレバ、合力金ト云者ニテ、取反スト云心ヲ離タル仕方ニテ、天下ニ飢人ヲ救玉フニ似タル者ナリ、
書き下し
汝が親方の、欲心を離れて金銀を出し、人を救はるゝは、聖人の御志に能く合へり。或る田舎に、其の所にては内福なる人あり。此の人親類中へ金銀を貸すに、借りに来る人あれば貸されけるが、戻す覚えあらば遣られよ、此方金貸しは家業にせず、因りて利足は取らずと云つて貸されけり。是れ程の人さへ稀なるに、汝の親方は、先方の算用不足する訣を聞き届け、道理の立ちたる不足なれば、何か返すと云ふことをかまはずして貸さるゝなれば、合力金と云ふ者にて、取り反すと云ふ心を離れたる仕方にて、天下に飢人を救ひ玉ふに似たる者なり。
現代語訳
あなたの主人が欲を離れて金銀を出し、人を救っておられるのは、聖人の志によくかなっています。ある田舎に、その土地では裕福な人がいて、親類に金銀を貸すとき、借りに来る人があれば貸したのですが、『返せるつもりがあるなら持って行きなさい。私は金貸しを家業にはしていないので、利息は取りません』と言って貸したそうです。これほどの人でさえまれなのに、あなたの主人は、相手の勘定が足りない事情を聞き届け、筋の通った不足であれば、返すかどうかなど構わずに貸されるのですから、これは『合力金』(助けの金)というもので、取り返すという心を離れたやり方です。天下で飢えた人を救われるのに似ています。
解説
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『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段曰く、親類方や手代中より、金銀を借りに来る者あれば、貸すか貸さぬかは除け置き、何れも方の家督にては、幾人暮し持ち兼ぬることはなき筈なりと云つてかさず。又つもりが合へば、彼は得帰へすまじと知りながらも、貸さるゝ。利のあることを曾て知らざるに似たり。是れらの是非いかん。
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『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段曰く、先年の困窮年に、親類中、其の外宿もち手代どもへ、米穀の調へ金銀を貸し、明年より取りかへさんと云ふ。借り方の中より、手前勝手に相成り候まゝ、今日よりは利足を出し、借り度きよし云ふものあれども、聞き入れずして取り反し、内に積み置き番をせらる。加様なる費を知らざることは如何。
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『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段答ふ、扨て此に至りて、一入感心致す所なり。何を以てなれば、金銀は天下の御宝なり。銘々は世を互ひにし、救ひ助くる役人なりと知らるゝと見えたり。此の故に困窮に至りて多くの人を救ひ、又救はれし者どもより、忝なしと、染々礼をいふ者もなけれども、其の厭ひなきは、聖人といへども、此の上も有るまじきかと思へり。孟子の所謂、民の若きは、則ち恒産無ければ因りて恒心無しと。民の知なきは常なり。其の愚かなる処を知りて、其の者より、我が慈悲を知らざれども、其の厭ひなく、他の憂ひを救ひ、自らこれを任とす。能く貯へ能く施す今の親方は、学問を好まるゝとも聞かざりしが、仮令一字も学ばずといへども、此れぞ実の学者ならん。先づ人は、天地、物を生ずるの心を得て、心とするなれば、人物をはごくみ育ふを以て要とす。孟子の所謂、君子の性とする所は、大いに行はるると雖も加へず、窮居すと雖も損ぜず、分定まるが故なりと。是れを以て見れば、人は貴賤に限らず、尽く天の霊なり。貧窮の人といへども、一人飢うる時は、直に天の霊を絶つに同じ。此の故に、聖人は民を養ふを以て本とし玉ふ。此れを以て飢饉年には、御上より、飢うる者を救はせ玉ふ御事なれば、子の親方も、御法を能くも用ひ尽されたり。その志し、誰も斯くは有りたきものなり。
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『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段答ふ、尤も此の事は深き心有るべし。如何なれば、世間にて金銀の出入りするを見るに、仮令親類手代にても、先づ彼は此れほどの金、反すか反さぬかと、金銀を貸さざる前に、吟味するは毎なり。然るに汝の親方は、先方の身上往きかぬる筋道有れば貸し、ゆくべき理あれば貸さずとは、親の子を思ふ心と、何ぞ替りあらん。嗟世の中の人、十人に二三人程、加様なる人あらば、世の難義する人少なかるべし。我が金銀と思はず、我は此の事を治むる役人と思ふ志、世に稀なることなり。我が一族の人を、左様に深切に思ふ身には、誰も成りたき者かな。孔子も急を周うて富めるに継がずと宣ふ。周急とは、困窮の者の足らざる所を補ひ助くることなり。不継富とは、富んで余りある者には、つぎ足すには及ばずと宣ふことなり。
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『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段答ふ、是れ一入面白し。親類手代中も、先の旦那は、人の物を反さずして奢れしを、見習ひて、奢ることを知りて、まさかの時の貯へをすることを知らず。其れを教へんために、急々に取り立てらるゝと見ゆ。且つ借りたるものを取り反すは、古今の定法なり。孟子曰く、其の道に非ざれば、一介も以て人に与へず、一介も以て諸を人に取らずと。心正しき親方、貸し取ることに心あらんや。人を不義に陥し入れずして、且つ救はん為なるべし。
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『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段或人来て物語して云ふ、汝の知れる如く、我親方は、今日にては内福なる者にて、財宝何に不足のこともなし。然れども、金銀を溜るばかりにて、何を楽しむこともなく、只金銀の番をするのみにて、貧乏人に同じ。親の代には、相応の楽もせられ、少しは奢も有りし故に、借金も有りといへども、定りの家督有るゆへ是非乞ふ者も無ければ、財宝有るに同じ。申さば沢山に遣ひ得と云ふ者なり。一生それにて相済み、果報人にて終れり。加様のことは、双方の是非如何。