都鄙問答 / 卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段
曰、親類方ヤ手代中ヨリ、金銀ヲ借リニ來ル者アレバ、貸カサヌハ除置、何レモ方ノ家督ニテハ、幾人暮持兼ルコトハナキ筈ナリト云テカサズ、又ツモリガ合バ、彼ハ得歸ヘスマジト知リナガラモ、貸ルヽ利ノアルコトヲ曾テ知ラザルニ似タリ、是ラノ是非イカン、
新字:曰、親類方ヤ手代中ヨリ、金銀ヲ借リニ来ル者アレバ、貸カサヌハ除置、何レモ方ノ家督ニテハ、幾人暮持兼ルコトハナキ筈ナリト云テカサズ、又ツモリガ合バ、彼ハ得帰ヘスマジト知リナガラモ、貸ルヽ利ノアルコトヲ曽テ知ラザルニ似タリ、是ラノ是非イカン、
書き下し
曰く、親類方や手代中より、金銀を借りに来る者あれば、貸すか貸さぬかは除け置き、何れも方の家督にては、幾人暮し持ち兼ぬることはなき筈なりと云つてかさず。又つもりが合へば、彼は得帰へすまじと知りながらも、貸さるゝ。利のあることを曾て知らざるに似たり。是れらの是非いかん。
現代語訳
問う人が言いました。「親類や手代たちが金銀を借りに来ると、貸す貸さないはさておき、『あなた方の身代なら、何人いても暮らしに困るはずはない』と言って貸しません。そうかと思えば、勘定が合えば、あの人は返せないだろうと知りながら貸されます。利息が取れることを、まるで知らないかのようです。これはどうでしょう。」
解説
主人の貸し方がまたも理解できない、という訴えです。暮らしに困らないはずの親類には貸さず、返せないと分かっている相手には貸す。利息を取る商売としては逆さまに見えます。次の答えで梅岩は、この貸し方の基準が「相手の暮らしが立つかどうか」にあることを明かします。貸すかどうかを返済能力ではなく必要性で決める、という発想の転換がここで提示されます。
この章句が説くこと
貸金親類利息判断必要
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