都鄙問答 / 卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段
曰、先年ノ困窮年ニ、親類中、其外宿モチ手代ドモヘ、米穀ノ調ヘ金銀ヲ貸シ、明年ヨリ取カエサント云、借リ方ノ中ヨリ、手前勝手ニ相成リ候マヽ、今日ヨリハ利足ヲ出シ、借度ヨシ云モノアレドモ、聞不入シテ取反シ、內ニ積置番ヲセラル、加樣ナル費ヲ知ラザルコトハ如何、
新字:曰、先年ノ困窮年ニ、親類中、其外宿モチ手代ドモヘ、米穀ノ調ヘ金銀ヲ貸シ、明年ヨリ取カエサント云、借リ方ノ中ヨリ、手前勝手ニ相成リ候マヽ、今日ヨリハ利足ヲ出シ、借度ヨシ云モノアレドモ、聞不入シテ取反シ、内ニ積置番ヲセラル、加様ナル費ヲ知ラザルコトハ如何、
書き下し
曰く、先年の困窮年に、親類中、其の外宿もち手代どもへ、米穀の調へ金銀を貸し、明年より取りかへさんと云ふ。借り方の中より、手前勝手に相成り候まゝ、今日よりは利足を出し、借り度きよし云ふものあれども、聞き入れずして取り反し、内に積み置き番をせらる。加様なる費を知らざることは如何。
現代語訳
問う人が言いました。「先年の不作の年に、主人は親類や、独立した手代たちに、米を買う金銀を貸し、翌年から取り返すと言いました。借りた者の中から、暮らし向きがよくなったので今日からは利息を払って借り続けたいと言う者もいたのに、聞き入れずに取り立て、家の中に積んで番をしておられます。こんな損を知らないのはどうしたことでしょう。」
解説
飢饉の年に親類や元手代へ金を貸した主人が、翌年には利息を払うから借り続けたいという申し出も断って回収し、ただ蔵に積んでいる、という不満です。奉公人の目には、利息を取れる機会をみすみす逃す無駄に見えます。次の答えで梅岩は、この取り立ての本当の狙いを読み解きます。貸したお金をどう扱うかに、貸し手の人柄と相手への見方が表れる、という問題提起になっています。
この章句が説くこと
貸金利息飢饉親類取り立て
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『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段曰く、親類方や手代中より、金銀を借りに来る者あれば、貸すか貸さぬかは除け置き、何れも方の家督にては、幾人暮し持ち兼ぬることはなき筈なりと云つてかさず。又つもりが合へば、彼は得帰へすまじと知りながらも、貸さるゝ。利のあることを曾て知らざるに似たり。是れらの是非いかん。
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『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段答ふ、是れ一入面白し。親類手代中も、先の旦那は、人の物を反さずして奢れしを、見習ひて、奢ることを知りて、まさかの時の貯へをすることを知らず。其れを教へんために、急々に取り立てらるゝと見ゆ。且つ借りたるものを取り反すは、古今の定法なり。孟子曰く、其の道に非ざれば、一介も以て人に与へず、一介も以て諸を人に取らずと。心正しき親方、貸し取ることに心あらんや。人を不義に陥し入れずして、且つ救はん為なるべし。
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『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段或人来て物語して云ふ、汝の知れる如く、我親方は、今日にては内福なる者にて、財宝何に不足のこともなし。然れども、金銀を溜るばかりにて、何を楽しむこともなく、只金銀の番をするのみにて、貧乏人に同じ。親の代には、相応の楽もせられ、少しは奢も有りし故に、借金も有りといへども、定りの家督有るゆへ是非乞ふ者も無ければ、財宝有るに同じ。申さば沢山に遣ひ得と云ふ者なり。一生それにて相済み、果報人にて終れり。加様のことは、双方の是非如何。
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『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段曰く、左様なるかと思へば、出入りの働き人などの、何の好みもなき者には、多くの米穀を施し、其れは又遣ひ捨てにせらるゝ。然れども、誰が一人として礼にも来らざれば、格別に喜ぶ体も見えず。畢竟遣ひ損なりといふ者あれば、否、物を施すは、礼を受くる為にはあらず、其の筈のことなりといはるゝ。又吝きことは、虱の皮を、千枚にへぐやうにせらるゝ。これらは如何。
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『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段汝が親方の、欲心を離れて金銀を出し、人を救はるゝは、聖人の御志に能く合へり。或る田舎に、其の所にては内福なる人あり。此の人親類中へ金銀を貸すに、借りに来る人あれば貸されけるが、戻す覚えあらば遣られよ、此方金貸しは家業にせず、因りて利足は取らずと云つて貸されけり。是れ程の人さへ稀なるに、汝の親方は、先方の算用不足する訣を聞き届け、道理の立ちたる不足なれば、何か返すと云ふことをかまはずして貸さるゝなれば、合力金と云ふ者にて、取り反すと云ふ心を離れたる仕方にて、天下に飢人を救ひ玉ふに似たる者なり。
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『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段此方より定りたる家督ありと思へるは、上を無みする罪人なり。又借銀を乞ふ者もなしといふは辟ことなり。如何となれば、汝今親方に仕ふるに、最早何年ほどは勤めたれば、いつごろは宿持たせくれられんと、定めて期に、せらるべし。然るを時来りても、暇を乞はざれば宿を持たせず、何までつかはるゝとも、親方の遣ひ得と云つて、すまして置かれんや。我が身を推して知らるべし。汝が時節を待つ如く、貸したる者も日限来れば、利足を添へて返さるゝを待つは常なり。其れを乞ふ者なければとて、反さぬと云ふ法ありや。然るに子が先の親方は、借銀を返さずして死去せしを、汝は幸なりと思へりや。此れは僥倖と云ふ倖なり。此の僥倖と云ふさいはいは、人の物を盗みても、人を殺しても、其の罪知らずして、