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都鄙問答 / 卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段

或人來テ物語シテ云、汝ノ知レル如ク、我親方ハ、今日ニテハ內福ナル者ニテ、財寶何ニ不足ノコトモナシ、然レドモ、金銀ヲ溜ルバカリニテ、何ヲ樂コトモナク、只金銀ノ番ヲスル而已ニテ、貧乏人ニ同ジ、親ノ代ニハ、相應ノ樂モセラレ、少ハ奢モ有シ故ニ、借金モ有トイヘドモ、定リノ家督有ユヘ是非乞者モ無レバ、財寶有ニ同ジ、申サバ澤山ニ遣得ト云者ナリ、一生ソレニテ相濟、果報人ニテ終レリ、加樣ノコトハ、雙方ノ是非如何、

新字:或人来テ物語シテ云、汝ノ知レル如ク、我親方ハ、今日ニテハ内福ナル者ニテ、財宝何ニ不足ノコトモナシ、然レドモ、金銀ヲ溜ルバカリニテ、何ヲ楽コトモナク、只金銀ノ番ヲスル而已ニテ、貧乏人ニ同ジ、親ノ代ニハ、相応ノ楽モセラレ、少ハ奢モ有シ故ニ、借金モ有トイヘドモ、定リノ家督有ユヘ是非乞者モ無レバ、財宝有ニ同ジ、申サバ沢山ニ遣得ト云者ナリ、一生ソレニテ相済、果報人ニテ終レリ、加様ノコトハ、双方ノ是非如何、

書き下し

或人来て物語して云ふ、汝の知れる如く、我親方は、今日にては内福なる者にて、財宝何に不足のこともなし。然れども、金銀を溜るばかりにて、何を楽しむこともなく、只金銀の番をするのみにて、貧乏人に同じ。親の代には、相応の楽もせられ、少しは奢も有りし故に、借金も有りといへども、定りの家督有るゆへ是非乞ふ者も無ければ、財宝有るに同じ。申さば沢山に遣ひ得と云ふ者なり。一生それにて相済み、果報人にて終れり。加様のことは、双方の是非如何。

現代語訳

ある人が来て、こう話しました。「ご存じのとおり、私の今の主人は内証が豊かで、財産に不足はありません。けれども金銀を貯めるばかりで何ひとつ楽しまず、ただ金銀の番をしているだけで、貧乏人と変わりません。先代のころは、それ相応に楽しみもし、多少のぜいたくもしたので借金もありましたが、決まった家の財産があるので、無理に取り立てに来る者もなく、財産があるのと同じでした。言ってみれば、たっぷり使い得をした人です。一生それで済ませて、果報者として終わりました。このお二人、どちらが正しいのでしょうか。」

解説

巻四の後半に置かれた、都鄙問答でも指折りの長い段の発端です。語り手は大きな商家の奉公人で、ため込むだけの今の主人より、派手に遊び、借金を返さぬまま死んだ先代のほうが「果報者」だったと言います。梅岩はこの問いに、先代のどこが誤りで今の主人のどこが正しいかを一つずつ答えていきます。景気のよい使い方をする人が慕われ、地味に守る人が陰口をたたかれるのは今の職場でも同じで、その見方そのものを問い直す問答です。

この章句が説くこと

倹約借金果報主人と奉公人

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