呻吟語 / 内篇・應務・外寧なれば必ず內憂有り
又曰:「終身讓畔,不失一段。」八曰付之天。天道有知,知我者其天乎?《詩》曰:「投彼有昊。」九曰委之命。人生相與,或順或忤,或合或離,或疏之而親,或厚之而疑,或偶遭而解,或久構而危。魯平公將出而遇臧倉,司馬牛為弟子而有桓魋,豈非命耶?十曰外寧必有內憂。小人侵陵則懼患、防危、長慮、卻顧,而不敢侈然。有肆心則百禍潛消。孟子曰:「出則無敵國外患者,國恒亡。」三自反後,君子存心猶如此。彼愛人不親禮,人不答而遽怒,與夫不愛人、不敬人而望人之愛敬己也,其去。
新字:又曰:「終身譲畔,不失一段。」八曰付之天。天道有知,知我者其天乎?《詩》曰:「投彼有昊。」九曰委之命。人生相与,或順或忤,或合或離,或疏之而親,或厚之而疑,或偶遭而解,或久構而危。魯平公将出而遇臧倉,司馬牛為弟子而有桓魋,豈非命耶?十曰外寧必有内憂。小人侵陵則懼患、防危、長慮、却顧,而不敢侈然。有肆心則百禍潜消。孟子曰:「出則無敵国外患者,国恒亡。」三自反後,君子存心猶如此。彼愛人不親礼,人不答而遽怒,与夫不愛人、不敬人而望人之愛敬己也,其去。
書き下し
又た曰く、「終身畔を讓るも、一段を失はず」と。八に曰く、之を天に付す。天道知る有り、我を知る者は其れ天か。九に曰く、之を命に委ぬ。人生の相與するは、或いは順ひ或いは忤ひ、或いは合し或いは離る。魯の平公將に出でんとして臧倉に遇ひ、司馬牛は弟子と為りて桓魋有り。豈に命に非ずや。十に曰く、外寧なれば必ず內憂有り。小人侵陵すれば則ち患を懼れ危を防ぎ、長慮して卻顧し、敢へて侈然たらず。肆心有れば則ち百禍潛かに消ゆ。
現代語訳
また、生涯にわたって畦を譲っても、一区画も失わないと言います。八に、天に預ける。天の道に知があるなら、自分を知るのは天でしょう。九に、命に委ねる。人と人との関わりは、順うこともあれば逆らうこともあり、合うこともあれば離れることもあります。魯の平公が出かけようとして臧倉に遇い、司馬牛は孔子の弟子でありながら桓魋という兄を持ちました。これが命でなくて何でしょうか。十に、外が静かなら必ず内に憂いがあります。小人が侵してくれば、患いを恐れ危うきを防ぎ、長く慮って振り返り、あえて驕りません。おごる心があれば、百の禍がひそかに消えます。
解説
この章句が説くこと
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