都鄙問答 / 卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段
曰、兔角今ノ親方ハ、貧乏人ガ好カト思ヘバ、又財寶ヲ聚、其聚タル金銀ニテ、衣服ニテモ拵ヘ、美食ニテモ好ムカト思ヘバ、毎々ハ食ト汁ニ香物菜、朔日十五日廿八日ハ、鰹膾ニ香物、正月節ハ、鰹膾ニ鰯ノ燒物、大根汁ニ香物、祭ハ、瓜膾ニ、燒物ハ鯖ノセンバ、茄子汁ニ香物、不圖ノ客アレバ、茶漬食ニ香物、有增如斯、夫ユヘニ寄集親類衆モ、我家ノ格式トハ大ヒニ違故ニ、箸ヲ取ソムル計ニテ、節ヤ神事モ淋ク、影口ヲ聞バ、餓鬼ジヤノ、吝嗇ノト、人ノヤウニハイハズ、加樣ノコトヲ聞モ氣毒ナリ、是ラノコトハ如何、
新字:曰、兔角今ノ親方ハ、貧乏人ガ好カト思ヘバ、又財宝ヲ聚、其聚タル金銀ニテ、衣服ニテモ拵ヘ、美食ニテモ好ムカト思ヘバ、毎々ハ食ト汁ニ香物菜、朔日十五日廿八日ハ、鰹膾ニ香物、正月節ハ、鰹膾ニ鰯ノ焼物、大根汁ニ香物、祭ハ、瓜膾ニ、焼物ハ鯖ノセンバ、茄子汁ニ香物、不図ノ客アレバ、茶漬食ニ香物、有增如斯、夫ユヘニ寄集親類衆モ、我家ノ格式トハ大ヒニ違故ニ、箸ヲ取ソムル計ニテ、節ヤ神事モ淋ク、影口ヲ聞バ、餓鬼ジヤノ、吝嗇ノト、人ノヤウニハイハズ、加様ノコトヲ聞モ気毒ナリ、是ラノコトハ如何、
書き下し
曰く、兎角今の親方は、貧乏人が好きかと思へば、又財宝を聚め、其の聚めたる金銀にて、衣服にても拵へ、美食にても好むかと思へば、毎々は食と汁に香物菜、朔日十五日廿八日は、鰹膾に香物、正月節は、鰹膾に鰯の焼物、大根汁に香物、祭は、瓜膾に、焼物は鯖のせんば、茄子汁に香物、不図の客あれば、茶漬飯に香物、有増斯くの如し。夫れゆへに寄り集まる親類衆も、我が家の格式とは大ひに違ふ故に、箸を取りそむる計りにて、節や神事も淋しく、影口を聞けば、餓鬼じやの、吝嗇のと、人のやうにはいはず。加様のことを聞くも気の毒なり。是れらのことは如何。
現代語訳
問う人が言いました。「とにかく今の主人は、貧乏が好きなのかと思えば財宝を集め、集めた金銀で着物でもこしらえ、うまい物でも好むのかと思えば、ふだんは飯と汁に漬物とおかず、一日・十五日・二十八日には鰹のなますに漬物、正月の節句は鰹のなますに鰯の焼き物、大根汁に漬物、祭りには瓜のなますに焼き物は鯖のせんば、茄子汁に漬物、不意の客があれば茶漬けに漬物と、だいたいこんな具合です。ですから集まってくる親類の人たちも、自分の家の格式とは大違いなので、箸を取り始めるばかりで、節句や神事もさびしく、陰口を聞けば『餓鬼だ』『けちだ』と、人並みには言いません。こういうことを聞くのもつらいものです。これはどうでしょう。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段或人来て物語して云ふ、汝の知れる如く、我親方は、今日にては内福なる者にて、財宝何に不足のこともなし。然れども、金銀を溜るばかりにて、何を楽しむこともなく、只金銀の番をするのみにて、貧乏人に同じ。親の代には、相応の楽もせられ、少しは奢も有りし故に、借金も有りといへども、定りの家督有るゆへ是非乞ふ者も無ければ、財宝有るに同じ。申さば沢山に遣ひ得と云ふ者なり。一生それにて相済み、果報人にて終れり。加様のことは、双方の是非如何。
-
『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段答ふ、其の一家一門の議は、皆々法を知らざるゆへなり。道有りて聚むる金銀は天命なり。天の賜ふ財を舎てず、天の命にそむかず、約を以て礼の本を守れり。又道を行ふ者は、他のそしりは、有るならひなり。孟子曰く、傷むこと無し、士は茲の多口に憎まる。詩に云ふ、憂心悄悄たり、群小に慍まると。孔子なりと。聖人の行ひは、小人の行ひに違へる故、衆の口の為に、孔子も譏りに逢ひ玉へり。又美食を好まざるは、身の分限なり。二汁五菜七菜などと云ふ重き料理は、下々のことにあらず。御上より品を分けて見ば、汝の親方の料理は、今少し奢にても有るべし。それを一門衆は、箸を取り初むる計りとは、分を知らざる奢る者なり。先づ飢饉年には、飯米の調へ代を借り、汝の親方の恵みにより飢ゑに及ばず、それを忘れ、身の分を知らず、
-
『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段曰く、扨て今の親方の致し方は、前に云ふ如く、今時の日傭取にも劣りたる仕方なり。親の代には、衣類も花美を好まれしに、今の親方は、木綿布子に生布の帷子、小倉帯に高宮羽織、加様に格別なる事を好む。是等はいかん。答ふ、先づ汝が心に大なる奢あり。如何となれば、同じ下々にて、我と日傭取とは、格別なりと思ふ。此れ即ち彼をいやしめ、我をたかぶるの奢なり。農工商は、一列に下々なり。然るに日傭取と我等如きと、何程違ひ有らんや。其れを賤しきと見るは心せばし。今の親方は、知有りて我をたかぶらず、上を恐れ身を下り、世に罕なる者なり。貴と賤しきとの分れを知るは礼なり。凡て衣服に、羽二重より上はなし、其れより木綿まで、何程の品あらん。
-
『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段曰く、左様なるかと思へば、出入りの働き人などの、何の好みもなき者には、多くの米穀を施し、其れは又遣ひ捨てにせらるゝ。然れども、誰が一人として礼にも来らざれば、格別に喜ぶ体も見えず。畢竟遣ひ損なりといふ者あれば、否、物を施すは、礼を受くる為にはあらず、其の筈のことなりといはるゝ。又吝きことは、虱の皮を、千枚にへぐやうにせらるゝ。これらは如何。
-
『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段曰く、先年の困窮年に、親類中、其の外宿もち手代どもへ、米穀の調へ金銀を貸し、明年より取りかへさんと云ふ。借り方の中より、手前勝手に相成り候まゝ、今日よりは利足を出し、借り度きよし云ふものあれども、聞き入れずして取り反し、内に積み置き番をせらる。加様なる費を知らざることは如何。
-
『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段曰く、料理は麁相なりとも、亭主機嫌の好きが勝るべし。答ふ、先の親方は、大業なる法事など致されしとあり、実に然るや。曰く、信心者ゆへ、仏のことは大業に致され候。答ふ、法事の時、何も機嫌能く、喜んで勉められ候や。曰く、大勢の客を疎末にせぬ心ゆへに、下々の廻り悪しければ、勝手の者は呵りまはされ候。