都鄙問答 / 卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段
曰、扠今ノ親方ノ致方ハ、前ニ云如ク、今時ノ日傭取ニモ劣タル仕方ナリ、親ノ代ニハ、衣類モ花美ヲ好マレシニ、今ノ親方ハ、木綿布子ニ生布ノ帷子、小倉帶ニ高宮羽織、加樣ニ各別ナル事ヲ好ム、是等ハイカン、答、先汝ガ心ニ大ナル奢アリ、如何トナレバ、同ジ下々ニテ、我ト日傭取トハ、格別ナリト思フ、此卽彼ヲイヤシメ、我ヲタカブルノ奢ナリ、農工商ハ、一列ニ下々ナリ、然ルニ日傭取ト我等如キト、何程違有ンヤ、其ヲ賤キト見ルハ心セバシ、今ノ親方ハ、知有テ我ヲタカブラズ、上ヲ恐レ身ヲ下リ、世ニ罕ナル者ナリ、貴ト賤キトノ分レヲ知ルハ禮ナリ、凡テ衣服ニ、羽二重ヨリ上ハナシ、其ヨリ木綿マデ、何程ノ品アラン、
新字:曰、扠今ノ親方ノ致方ハ、前ニ云如ク、今時ノ日傭取ニモ劣タル仕方ナリ、親ノ代ニハ、衣類モ花美ヲ好マレシニ、今ノ親方ハ、木綿布子ニ生布ノ帷子、小倉帯ニ高宮羽織、加様ニ各別ナル事ヲ好ム、是等ハイカン、答、先汝ガ心ニ大ナル奢アリ、如何トナレバ、同ジ下々ニテ、我ト日傭取トハ、格別ナリト思フ、此即彼ヲイヤシメ、我ヲタカブルノ奢ナリ、農工商ハ、一列ニ下々ナリ、然ルニ日傭取ト我等如キト、何程違有ンヤ、其ヲ賤キト見ルハ心セバシ、今ノ親方ハ、知有テ我ヲタカブラズ、上ヲ恐レ身ヲ下リ、世ニ罕ナル者ナリ、貴ト賤キトノ分レヲ知ルハ礼ナリ、凡テ衣服ニ、羽二重ヨリ上ハナシ、其ヨリ木綿マデ、何程ノ品アラン、
書き下し
曰く、扨て今の親方の致し方は、前に云ふ如く、今時の日傭取にも劣りたる仕方なり。親の代には、衣類も花美を好まれしに、今の親方は、木綿布子に生布の帷子、小倉帯に高宮羽織、加様に格別なる事を好む。是等はいかん。答ふ、先づ汝が心に大なる奢あり。如何となれば、同じ下々にて、我と日傭取とは、格別なりと思ふ。此れ即ち彼をいやしめ、我をたかぶるの奢なり。農工商は、一列に下々なり。然るに日傭取と我等如きと、何程違ひ有らんや。其れを賤しきと見るは心せばし。今の親方は、知有りて我をたかぶらず、上を恐れ身を下り、世に罕なる者なり。貴と賤しきとの分れを知るは礼なり。凡て衣服に、羽二重より上はなし、其れより木綿まで、何程の品あらん。
現代語訳
問う人が言いました。「さて、今の主人のやり方は、先ほども申したとおり、今どきの日雇い人夫にも劣るやり方です。先代は着る物も華やかなのを好まれたのに、今の主人は木綿の綿入れに生布の単衣、小倉織の帯に高宮布の羽織と、こんなふうに人と違った物を好みます。これはどうなのでしょう。」梅岩は答えました。「まず、あなたの心に大きな奢りがあります。なぜなら、同じ庶民でありながら、自分と日雇い人夫とは格が違うと思っているからです。これは相手をいやしめ、自分をたかぶらせる奢りです。農・工・商はみな同列の庶民です。日雇い人夫と私たちとで、どれほどの違いがあるでしょう。それを卑しいと見るのは心が狭いのです。今の主人は知恵があって自分をたかぶらず、お上を恐れて身を低くしている、世にもまれな人です。貴いものと卑しいものの区別を知るのが礼です。衣服でいえば羽二重より上等なものはなく、そこから木綿まで、どれほどの品があるでしょう。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『慎思録』巻之五卑幼の輩、居れば則ち長者の位を避け、行けば則ち随ひ行き、言語応対は、則ち恂恂として謙遜す。是れ礼の当に然るべき所なり。後世の卑幼は此の礼に循はず。往往長者の位に居り、先生と並び行き、言語応対は、則ち尊長と抗敵す。唯速やかに成人の列に進まんことを欲し、等を躐え節を凌ぐ。分に安んぜざるの甚だしきなり。是を以て驕惰の心を養成して、教ふべからざるに至る。歎ずべきかな。
-
『大和俗訓』巻之八・応接一我が身を卑下して、人にたかぶらざるは、誠によし。されどあまり卑屈にして、へりくだり過し、つくべき座敷などにも、たやすくつかず、道行くにも、我が先へ行くべき位なれど、辞して行かず、我が前にめぐり来れる盃をも飲まずして、人の言を多くつひやさしむるも、かへりて無礼なり。ただわが当然なるべき程をほ、あながちに強く辞退すべからず。位ある人、老いたる人、下座にありては、賤しく若き人の居るべき座なくして、各其処を得ざることあり。しかれば卑下するにも、過不及なかるべし。
-
史記 魏公子列伝魏に隠士有り、侯嬴と曰ふ、年七十、家貧しく、大梁の夷門の監者為り。公子これを聞き、往きて請ひ、厚くこれに遺らんと欲す。受くるを肯んぜずして曰く、「臣、身を脩め行ひを絜くすること数十年、終に監門の困しみの故を以て公子の財を受けず」と。公子是に於いて乃ち酒を置きて大いに賓客を会す。坐定まり、公子車騎を従へ、左を虚しくして、自ら夷門の侯生を迎ふ。侯生、敝れたる衣冠を摂め、直ちに上りて公子の上坐に載り、譲らず、以て公子を観んと欲す。公子轡を執ること愈々恭し。侯生また公子に謂ひて曰く、「臣に客の市の屠中に在る有り、願はくは車騎を枉げてこれに過れ」と。公子車を引きて市に入る。侯生下りてその客朱亥に見え、俾倪して故らに久しく立ち、その客と語り、微かに公子を察す。公子の顔色愈々和らぐ。是の時に当たり、魏の将相・宗室・賓客堂に満ち、公子の酒を挙ぐるを待つ。市人皆公子の轡を執るを観る。従騎皆竊かに侯生を罵る。侯生、公子の色の終に変ぜざるを視て、乃ち客に謝して車に就く。家に至り、公子、侯生を引きて上坐に坐せしめ、遍く賓客に賛す、賓客皆驚く。酒酣にして、公子起ち、寿を侯生の前に為す。侯生因りて公子に謂ひて曰く、「今日、嬴の公子の為にするもまた足れり。嬴は乃ち夷門の抱関者なり、而るに公子親ら車騎を枉げ、自ら嬴を衆人広坐の中に迎ふ、宜しく過る所有るべからざるに、今公子故らにこれに過る。然れども嬴は公子の名を就さんと欲す、故に久しく公子の車騎を市中に立たしめ、客に過りて以て公子を観る、公子愈々恭し。市人皆嬴を以て小人と為し、而して公子を以て長者にして能く士に下ると為すなり」と。是に於いて酒を罷め、侯生遂に上客と為る。
-
論語・郷党篇孔子、郷党に於いて、恂恂如たり、言うこと能わざる者に似たり。其の宗廟朝廷に在るや、便便として言い、唯だ謹めるのみ。
-
『大和俗訓』巻之八・応接一人に対して物いふに、我が位と年との程をかへりみ、又対する人の位と年との品を知りて、其宜にかなふは礼也。若いまだ物なれざる人は、すこしは人をうやまひ過すは、節にあたらざれども、大なるあやまりにあらず。わが位よりおごれるは、無礼にして大なる過なり。見にくし。座につくにも、我が身に宜しきよき程の所につくべきを、ゐなか人か、又礼知らぬ人は、人の請ぜざるに、高座に上りすぎて、見苦しく笑ふべし。我が位より下座につくは、礼にあたらざれども、大なる誤にあらず。
-
『春秋左氏伝』昭公四年 申の会夏、諸侯楚に如く。魯・衛・曹・邾、會せず。曹・邾は辭するに難を以ってし、公は辭するに時祭を以ってし、衛侯は辭するに疾を以ってす。鄭伯先づ申に待つ。六月丙午、楚子諸侯を申に合す。椒舉楚子に言ひて曰く、「臣聞く、諸侯歸する無し、禮以って歸と為す、と。今君始めて諸侯を得たり、其れ禮を慎め。霸の濟否は、此の會に在り。夏啟に鈞臺の享有り、商湯に景亳の命有り、周武に孟津の誓有り、成に岐陽の蒐有り、康に酆宮の朝有り、穆に塗山の會有り、齊桓に召陵の師有り、晉文に踐土の盟有り。君其れ何をか用ゐん。宋の向戌・鄭の公孫僑は、諸侯の良に在り。君其れ焉を選べ」と。王曰く、「吾は齊桓を用ゐん」と。王左師と子產とに禮を問はしむ。左師曰く、「小國は之を習ひ、大國は之を用ゐる。敢へて聞く所を薦めざらんや」と。公の諸侯を合するの禮六を獻ず。子產曰く、「小國は職を共にす、敢へて守る所を薦めざらんや」と。伯・子・男の公に會するの禮六を獻ず。君子謂ふ、「合左師は善く先代を守り、子產は善く小國を相く」と。