都鄙問答 / 卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段
曰、左樣ナルカト思ヘバ、出入ノ働人ナドノ、何ノ好モナキ者ニハ、多クノ米穀ヲ施シ、其ハ又遣舍ニセラルヽ、然レドモ、誰ガ一人トシテ禮ニモ來ラザレバ、格別ニ喜ブ體モ見ヘズ、畢竟遣損ナリトイフ者アレバ、否、物ヲ施スハ、禮ヲ受ル爲ニハアラズ、其筈ノコトナリトイハルヽ、又吝コトハ、虱ノ皮ヲ、千枚ニヘグヤウニセラルヽ、コレラハ如何、
新字:曰、左様ナルカト思ヘバ、出入ノ働人ナドノ、何ノ好モナキ者ニハ、多クノ米穀ヲ施シ、其ハ又遣舎ニセラルヽ、然レドモ、誰ガ一人トシテ礼ニモ来ラザレバ、格別ニ喜ブ体モ見ヘズ、畢竟遣損ナリトイフ者アレバ、否、物ヲ施スハ、礼ヲ受ル為ニハアラズ、其筈ノコトナリトイハルヽ、又吝コトハ、虱ノ皮ヲ、千枚ニヘグヤウニセラルヽ、コレラハ如何、
書き下し
曰く、左様なるかと思へば、出入りの働き人などの、何の好みもなき者には、多くの米穀を施し、其れは又遣ひ捨てにせらるゝ。然れども、誰が一人として礼にも来らざれば、格別に喜ぶ体も見えず。畢竟遣ひ損なりといふ者あれば、否、物を施すは、礼を受くる為にはあらず、其の筈のことなりといはるゝ。又吝きことは、虱の皮を、千枚にへぐやうにせらるゝ。これらは如何。
現代語訳
問う人が言いました。「そうかと思えば、出入りの働き手など、何の縁もない者には多くの米を施して、それは返させずにやりっぱなしにされます。けれども誰一人として礼を言いに来ず、ことさら喜ぶ様子も見えません。結局は使い損だと言う者がいると、『いや、物を施すのは礼を受けるためではない。当然のことだ』とおっしゃいます。そのくせ、けちなことといったら、しらみの皮を千枚にはぐようです。これはどうでしょう。」
解説
身内には厳しく取り立てる主人が、縁の薄い出入りの働き手には米を施して返させず、礼に来なくても気にしない。そのくせ普段は「しらみの皮を千枚にはぐ」ほどけちだ、という不満です。奉公人には気まぐれにしか見えませんが、次の答えで梅岩は、これを一貫した考えから出た行いとして説明します。施しに見返りを求めない姿勢と、日々の徹底した倹約が一人の人の中でどうつながるかが問われています。
この章句が説くこと
施し倹約見返り礼慈悲
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