都鄙問答 / 卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段
曰、左樣ナルカト思ヘバ、出入ノ働人ナドノ、何ノ好モナキ者ニハ、多クノ米穀ヲ施シ、其ハ又遣舍ニセラルヽ、然レドモ、誰ガ一人トシテ禮ニモ來ラザレバ、格別ニ喜ブ體モ見ヘズ、畢竟遣損ナリトイフ者アレバ、否、物ヲ施スハ、禮ヲ受ル爲ニハアラズ、其筈ノコトナリトイハルヽ、又吝コトハ、虱ノ皮ヲ、千枚ニヘグヤウニセラルヽ、コレラハ如何、
新字:曰、左様ナルカト思ヘバ、出入ノ働人ナドノ、何ノ好モナキ者ニハ、多クノ米穀ヲ施シ、其ハ又遣舎ニセラルヽ、然レドモ、誰ガ一人トシテ礼ニモ来ラザレバ、格別ニ喜ブ体モ見ヘズ、畢竟遣損ナリトイフ者アレバ、否、物ヲ施スハ、礼ヲ受ル為ニハアラズ、其筈ノコトナリトイハルヽ、又吝コトハ、虱ノ皮ヲ、千枚ニヘグヤウニセラルヽ、コレラハ如何、
書き下し
曰く、左様なるかと思へば、出入りの働き人などの、何の好みもなき者には、多くの米穀を施し、其れは又遣ひ捨てにせらるゝ。然れども、誰が一人として礼にも来らざれば、格別に喜ぶ体も見えず。畢竟遣ひ損なりといふ者あれば、否、物を施すは、礼を受くる為にはあらず、其の筈のことなりといはるゝ。又吝きことは、虱の皮を、千枚にへぐやうにせらるゝ。これらは如何。
現代語訳
問う人が言いました。「そうかと思えば、出入りの働き手など、何の縁もない者には多くの米を施して、それは返させずにやりっぱなしにされます。けれども誰一人として礼を言いに来ず、ことさら喜ぶ様子も見えません。結局は使い損だと言う者がいると、『いや、物を施すのは礼を受けるためではない。当然のことだ』とおっしゃいます。そのくせ、けちなことといったら、しらみの皮を千枚にはぐようです。これはどうでしょう。」
解説

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『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
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『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
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『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
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『五常訓』巻之四・礼一威儀をつつしみ、衣冠を正しくし、視ること、聴くこと、言ふこと、動くことの四事につきて、各過不及なく、よき程の法あり。又親につかへ、君につかふるに、各さだまれる法あり。兄弟、夫婦に対し、賓客にまじはり、臣下に対し、民をつかひ、先祖鬼神をまつるも法あり。是礼は、皆天理のよき程なる節文にして、人事の定まれる作法なり。仁義皆理なりといへども、とりわき礼を理といへるに子細あり。理とは行ふべきすぢめなり。万事を行ふに、皆定まりたる作法あり。是人の行ふべきすぢめなり。是即礼なり。ここを以て聖人の説き給へる礼の字は、理の字にあたれり。然れども理といはずして礼といへるに、子細あり。理といへば形と事にあらはれたる迹なくして、虚なり。
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『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。