都鄙問答 / 卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段
曰、外ノ世話多ク、ソレマデハ手ガ屆申サズ候、答、座敷ノ膳ヤ、引菓子抔ハ、自ラセラレ候ヤ、曰、ソレハ丁寧ナル者ユヘ、重客ノ分ハ、是非共自ラセラレ候、答、汝ハ最前ニ、主機嫌惡敷所ヘ召レ往ハ、否ト云ニアラズヤ、我身ヲ推テ萬事ヲ知ルベシ、法事ノ上客ハ親祖ナリ、然ルニ親祖ノ所ヘハ顏出シモセズ、配膳モ他人ニ任セヲキ、相伴人ヲ馳走スル禮法ハアルマジ、左樣ニ不待ノ所ヘ、料理ノ好味ヲ喜、先祖ハ來ラルベキヤ、若來レルコトアリトモ、爭カ快カラン、快カラザルコトヲナシテ、孝行ノ法事ト云ハルベキヤ、
新字:曰、外ノ世話多ク、ソレマデハ手ガ届申サズ候、答、座敷ノ膳ヤ、引菓子抔ハ、自ラセラレ候ヤ、曰、ソレハ丁寧ナル者ユヘ、重客ノ分ハ、是非共自ラセラレ候、答、汝ハ最前ニ、主機嫌悪敷所ヘ召レ往ハ、否ト云ニアラズヤ、我身ヲ推テ万事ヲ知ルベシ、法事ノ上客ハ親祖ナリ、然ルニ親祖ノ所ヘハ顔出シモセズ、配膳モ他人ニ任セヲキ、相伴人ヲ馳走スル礼法ハアルマジ、左様ニ不待ノ所ヘ、料理ノ好味ヲ喜、先祖ハ来ラルベキヤ、若来レルコトアリトモ、争カ快カラン、快カラザルコトヲナシテ、孝行ノ法事ト云ハルベキヤ、
書き下し
曰く、外の世話多く、それまでは手が届き申さず候。答ふ、座敷の膳や、引菓子などは、自らせられ候や。曰く、それは丁寧なる者ゆへ、重客の分は、是非とも自らせられ候。答ふ、汝は最前に、主機嫌悪しき所へ召され往くは、否と云ふにあらずや。我が身を推して万事を知るべし。法事の上客は親祖なり。然るに親祖の所へは顔出しもせず、配膳も他人に任せおき、相伴人を馳走する礼法はあるまじ。左様に待たざる所へ、料理の好味を喜び、先祖は来らるべきや。若し来れることありとも、争でか快からん。快からざることをなして、孝行の法事と云はるべきや。
現代語訳
問う人は答えました。「ほかの世話が多くて、そこまでは手が回りませんでした。」梅岩が「座敷の膳や引き菓子などはご自分でなさいましたか」と尋ねると、「そこは丁寧な方でしたから、大事な客の分は必ずご自分でなさいました」と答えました。梅岩は言いました。「あなたは先ほど、主人の機嫌の悪い家に招かれて行くのは嫌だと言ったではありませんか。わが身に引き比べて、すべてを知りなさい。法事の一番の客は先祖です。それなのに先祖の所には顔も出さず、配膳も他人に任せておいて、相伴の客をもてなすという礼法はないでしょう。そんなふうに待ってもくれない所へ、料理のうまさを喜んで先祖が来られるでしょうか。もし来られたとしても、どうして快いことがありましょう。快くないことをしておいて、孝行の法事と言えるでしょうか。」
解説
この章句が説くこと
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