説苑 / 說叢
不脩其身,求之於人,是謂失倫;不治其內,而脩其外,是謂大廢。重載而危之,操策而隨之,非所以為全也。
新字:不脩其身,求之於人,是謂失倫;不治其内,而脩其外,是謂大廃。重載而危之,操策而随之,非所以為全也。
書き下し
其の身を脩めずして之を人に求む、是を失倫と謂う。其の內を治めずして、其の外を脩む、是を大廢と謂う。重く載せて之を危くし、策を操りて之に隨う、全うする所以に非ざるなり。
現代語訳
自分自身を修めないで他人にそれを求めるのを「倫を失う」という。自分の内面を治めないで外見だけを整えるのを「大廢(大きな怠慢)」という。重い荷を積んで危うくしておきながら、鞭を手にしてそれを追い立てるようなことは、物事を全うする方法ではない。
解説
自らを省みずに他者にばかり厳しさを求める姿勢や、内面を疎かにして外見だけを取り繕う態度を、それぞれ「失倫」「大廢」という強い言葉で断じる章である。過積載の車をさらに鞭打つ比喩は、根本原因(過剰な負荷そのもの)を解決せずに表面的な督励だけで乗り切ろうとする愚を突いている。現代の職場でも、自分は変わらないまま部下にばかり改善を求めたり、根本問題を放置したまま叱咤激励だけで乗り切ろうとする管理者は少なくない。まず自分の内面と土台を整えることが、真に物事を全うする道である。

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自己修養本末督励
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