都鄙問答 / 卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段
答然レバ先ノ親方ハ、呵マワスト、我腹立トヲ、法事ニセラレ候ヤ、曰、左ニハアラズ、出家サヘ、五六十人モ招カレ候ヘバ、勝手ニハ、人足ラヌ故ニ氣ヲセキ、自ラ怒ラレ候、然レドモ、結構ナル法事ハ致サレ候、答、法事ニ、佛前ノ供物ハ、自備ラレ候ヤ、
新字:答然レバ先ノ親方ハ、呵マワスト、我腹立トヲ、法事ニセラレ候ヤ、曰、左ニハアラズ、出家サヘ、五六十人モ招カレ候ヘバ、勝手ニハ、人足ラヌ故ニ気ヲセキ、自ラ怒ラレ候、然レドモ、結構ナル法事ハ致サレ候、答、法事ニ、仏前ノ供物ハ、自備ラレ候ヤ、
書き下し
答ふ、然れば先の親方は、呵りまはすと、我が腹立つるとを、法事にせられ候や。曰く、左にはあらず、出家さへ、五六十人も招かれ候へば、勝手には、人足らぬ故に気をせき、自ら怒られ候。然れども、結構なる法事は致され候。答ふ、法事に、仏前の供物は、自ら備へられ候や。
現代語訳
梅岩は言いました。「それでは先代の主人は、人を叱りつけることと自分が腹を立てることを、法事にしておられたのですか。」問う人は答えました。「そうではありません。僧だけでも五、六十人も招かれたので、台所は人手が足りず、気がせいて、ついご自分で怒られたのです。それでも立派な法事はなさいました。」梅岩は「法事で、仏前の供え物はご自分で供えられましたか」と尋ねました。
解説
「叱りつけることと腹を立てることを法事にしたのか」という梅岩の皮肉に、相手は、人が多すぎて手が回らなかっただけで、法事自体は立派だったと弁護します。梅岩は反論せず、今度は仏前の供え物を主人自ら供えたかと問います。規模を大きくしたせいで、主催者が肝心の相手(先祖)に向き合う余裕を失っていた事実を、一つずつ確かめていく運びです。準備の忙しさが本来の目的を押しのける、よくある構図です。
この章句が説くこと
法事怒り供物規模本末
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