都鄙問答 / 卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段
曰、名ハ付テ生ルヽモノニハ非ズ、先假ノモノナリ、答、汝ヲ盜人ト云ハヾ如何、コノ故ニ怒ナリ、曰、盜人ト云レテハ、身分立ズ、コノ故ニ怒ナリ、答、善人ト云ハヾ如何、曰、我ニ善事ハナケレドモ、譽ラルヽハアシカラズ、
新字:曰、名ハ付テ生ルヽモノニハ非ズ、先仮ノモノナリ、答、汝ヲ盗人ト云ハヾ如何、コノ故ニ怒ナリ、曰、盗人ト云レテハ、身分立ズ、コノ故ニ怒ナリ、答、善人ト云ハヾ如何、曰、我ニ善事ハナケレドモ、誉ラルヽハアシカラズ、
書き下し
曰く、名は付けて生るゝものには非ず、先づ仮のものなり。答ふ、汝を盗人と云はゞ如何。この故に怒るなり。曰く、盗人と云はれては、身分立たず、この故に怒るなり。答ふ、善人と云はゞ如何。曰く、我に善事はなけれども、誉めらるゝはあしからず。
現代語訳
問う人は答えました。「名は付けて生まれてくるものではありません。まず仮のものです。」梅岩が「あなたを盗人と呼んだらどうですか」と問うと、「盗人と言われては身の立つ瀬がありません。だから怒ります」と答えました。梅岩が「では善人と呼んだらどうですか」と問うと、「私に善いことなどありませんが、ほめられるのは悪い気がしません」と答えました。
解説
名は仮のものだと認めた相手に、梅岩は「盗人と呼ばれたら」「善人と呼ばれたら」と重ねて問います。相手は、盗人と呼ばれれば怒り、善人と呼ばれれば悪い気はしないと、率直に答えます。仮のものだと頭で分かっていても、名はその人そのものとして心に響くことを、相手自身の口から言わせているわけです。なお、底本では最初の問いの直後にも「コノ故ニ怒ナリ」の句があり、証人の一つにも同じ位置に見えるので、そのまま残しています。
この章句が説くこと
名評価怒り善人問答
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