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都鄙問答 / 卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段

曰、親類一家祝儀ノ音物ハ、取遣トモニ、三分一ニ減シ、七日ノ法事ハ三日ニ減シ、一日ノ齋ハ三日ニ增、齋非時モ、五十人ノ僧ヲ二十人ニ減シ、一石ノ施行ハ三石ニ增、此等ハイカン、答、我分ヲ能知テ、天ヲ恐ルヽ志シ、有ガタキコトナリ、音物ヲ減シ、法事ノ日數ヲ減シ、僧ヲ聚ルコトヲ減ズルハ、分限ヲ知ラルヽガ故ナリ、法事ニ、齋シ敬ムハ禮ナリ、施行米ヲ增シ人ヲ救フハ、仁ノ施シナリ、凡テ增減ヲ知ルハ智ナリ、實ニ智仁ノ心ヲ能用ヒタルアリサマ、左モ有ベキコト哉、孔子モ、禮與其奢也寧儉、喪與其易、也寧戚トノ玉フ、扠五十人ノ僧ヲ、二十人ニ減ズルコト、定テ疑ヒアルベシ、

新字:曰、親類一家祝儀ノ音物ハ、取遣トモニ、三分一ニ減シ、七日ノ法事ハ三日ニ減シ、一日ノ斎ハ三日ニ增、斎非時モ、五十人ノ僧ヲ二十人ニ減シ、一石ノ施行ハ三石ニ增、此等ハイカン、答、我分ヲ能知テ、天ヲ恐ルヽ志シ、有ガタキコトナリ、音物ヲ減シ、法事ノ日数ヲ減シ、僧ヲ聚ルコトヲ減ズルハ、分限ヲ知ラルヽガ故ナリ、法事ニ、斎シ敬ムハ礼ナリ、施行米ヲ增シ人ヲ救フハ、仁ノ施シナリ、凡テ增減ヲ知ルハ智ナリ、実ニ智仁ノ心ヲ能用ヒタルアリサマ、左モ有ベキコト哉、孔子モ、礼与其奢也寧倹、喪与其易、也寧戚トノ玉フ、扠五十人ノ僧ヲ、二十人ニ減ズルコト、定テ疑ヒアルベシ、

書き下し

曰く、親類一家祝儀の音物は、取り遣りともに、三分一に減じ、七日の法事は三日に減じ、一日の斎は三日に増し、斎非時も、五十人の僧を二十人に減じ、一石の施行は三石に増す。此れ等はいかん。答ふ、我が分を能く知りて、天を恐るゝ志し、有りがたきことなり。音物を減じ、法事の日数を減じ、僧を聚むることを減ずるは、分限を知らるゝが故なり。法事に、斎し敬むは礼なり。施行米を増し人を救ふは、仁の施しなり。凡て増減を知るは智なり。実に智仁の心を能く用ひたるありさま、左も有るべきことかな。孔子も、礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せよ、喪は其の易めんよりは寧ろ戚めと宣ふ。扨て五十人の僧を、二十人に減ずること、定めて疑ひあるべし。

現代語訳

問う人が言いました。「親類一族との祝儀の贈り物は、やるのも受けるのも三分の一に減らし、七日の法事は三日に減らし、一日だった斎(とき)の供養は三日に増やし、斎や非時の食事も五十人の僧を二十人に減らし、一石だった施しの米は三石に増やしました。これはどうでしょう。」梅岩は答えました。「自分の分をよく知って天を恐れる志で、ありがたいことです。贈り物を減らし、法事の日数を減らし、僧を集めるのを減らすのは、分限を知っておられるからです。法事で身を慎み敬うのは礼です。施しの米を増やして人を救うのは仁の施しです。そもそも何を増やし何を減らすかを知るのは智です。まことに智と仁の心をよく用いたありさまで、もっともなことです。孔子も『礼はぜいたくにするよりは、むしろ質素にせよ。葬儀は整えることより、むしろ心から悲しめ』と言われました。さて、五十人の僧を二十人に減らすことには、きっと疑問があるでしょう。」

解説

主人は儀礼の見栄の部分(贈答・法事の日数・招く僧の数)を減らし、心を込める部分(斎の供養の日数)と困った人への施しを増やしました。梅岩はこれを、分を知る礼、人を救う仁、増減を見極める智の三つがそろった判断だと評します。『論語』八佾篇の「礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せよ、喪は其の易めんよりは寧ろ戚め」がその裏づけです。予算を一律に削るのではなく、何を増やし何を減らすかを選ぶことこそ倹約だという考え方です。

この章句が説くこと

倹約法事

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