都鄙問答 / 卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段
背ベキニアラズ、何ヲ以テナレバ、唐土項羽、人ヲツカフニ、功有者ニハ國ヲ封ベキヲ吝、忍デ祿ヲアタヘズ、卒ニ漢ノ高祖ノ爲ニ亡サル、是臣ヨリ君ニ怨アルユヘ、心替テ高祖ニ往、却テ我敵トナル、此其功ト祿ト、算用知ザル所ヨリ發レリ、假令項羽ニ無禮有トモ、高祖ニ往ハ臣ノ道ニアラズ、不忠ノ者モ、仁ヲ以テ忠臣ノ如ク使ヒナスハ、君ノ道ナリ、コノユヘニ汝ガ親方ハ、義理有テ出スベキ給銀抔ハコレヲ出シ、聚ベキ物ハ能聚、散テハ聚、聚テハ散ス、此二ッ義ニ合ハヾ、假令家國ヲ治トモ、何ノ難コトアラン、奉公人モ、儉約者ハ、給銀ヲ溜テ主人ノ恩ヲ知ル、奢者ハ、給銀ヤ鼻紙代ニテ遣タラズ、不足所ハ、盜シ遣ナガラ、我旦那ハ、幾年勤テモ、勤甲斐ナシト云、汝ガ親方ハ此ヲ知ル、コヽヲ以テ給銀ヲネギラズ、見苦ヲ反テ喜ブ、是誠ノ道ヲ以テ人ヲ遣ナレバ、忠アルモノヲ、求得ルコト多カラン、子曰、以約失之者鮮矣ト、儉約者ヲ好ハ尤ナリ、國家ヲ治ルモ、約ヲ本トスルニアラズヤ、假令財寶アリトモ、善人ヲ得ズバ、何ヲ以家ヲ治ンヤ、
新字:背ベキニアラズ、何ヲ以テナレバ、唐土項羽、人ヲツカフニ、功有者ニハ国ヲ封ベキヲ吝、忍デ禄ヲアタヘズ、卒ニ漢ノ高祖ノ為ニ亡サル、是臣ヨリ君ニ怨アルユヘ、心替テ高祖ニ往、却テ我敵トナル、此其功ト禄ト、算用知ザル所ヨリ発レリ、仮令項羽ニ無礼有トモ、高祖ニ往ハ臣ノ道ニアラズ、不忠ノ者モ、仁ヲ以テ忠臣ノ如ク使ヒナスハ、君ノ道ナリ、コノユヘニ汝ガ親方ハ、義理有テ出スベキ給銀抔ハコレヲ出シ、聚ベキ物ハ能聚、散テハ聚、聚テハ散ス、此二ッ義ニ合ハヾ、仮令家国ヲ治トモ、何ノ難コトアラン、奉公人モ、倹約者ハ、給銀ヲ溜テ主人ノ恩ヲ知ル、奢者ハ、給銀ヤ鼻紙代ニテ遣タラズ、不足所ハ、盗シ遣ナガラ、我旦那ハ、幾年勤テモ、勤甲斐ナシト云、汝ガ親方ハ此ヲ知ル、コヽヲ以テ給銀ヲネギラズ、見苦ヲ反テ喜ブ、是誠ノ道ヲ以テ人ヲ遣ナレバ、忠アルモノヲ、求得ルコト多カラン、子曰、以約失之者鮮矣ト、倹約者ヲ好ハ尤ナリ、国家ヲ治ルモ、約ヲ本トスルニアラズヤ、仮令財宝アリトモ、善人ヲ得ズバ、何ヲ以家ヲ治ンヤ、
書き下し
背くべきにあらず。何を以てなれば、唐土項羽、人をつかふに、功有る者には国を封ずべきを吝み、忍んで禄をあたへず、卒に漢の高祖の為に亡さる。是れ臣より君に怨あるゆへ、心替りて高祖に往き、却つて我が敵となる。此れ其の功と禄と、算用知らざる所より発れり。仮令項羽に無礼有りとも、高祖に往くは臣の道にあらず。不忠の者も、仁を以て忠臣の如く使ひなすは、君の道なり。このゆへに汝が親方は、義理有りて出すべき給銀などはこれを出し、聚むべき物は能く聚め、散じては聚め、聚めては散ず。此の二つ義に合はゞ、仮令家国を治むとも、何の難きことあらん。奉公人も、倹約者は、給銀を溜めて主人の恩を知る。奢る者は、給銀や鼻紙代にて遣ひたらず、足らざる所は、盗みし遣ひながら、我が旦那は、幾年勤めても、勤め甲斐なしと云ふ。汝が親方は此れを知る。こゝを以て給銀をねぎらず、見苦しきを反つて喜ぶ。是れ誠の道を以て人を遣ふなれば、忠あるものを、求め得ること多からん。子曰く、約を以て之を失ふ者は鮮しと。倹約者を好むは尤もなり。国家を治むるも、約を本とするにあらずや。仮令財宝ありとも、善人を得ずば、何を以て家を治めんや。
現代語訳
これに背いてはなりません。なぜかと言えば、中国の項羽は人を使うのに、功のある者に国を与えて封ずるべきところを惜しみ、禄を与えるのをためらって、ついに漢の高祖に滅ぼされました。臣下が主君を怨み、心変わりして高祖のもとへ行き、かえって敵となったのです。これは功と禄の勘定を知らなかったことから起こりました。たとえ項羽に無礼があったとしても、高祖のもとへ走るのは臣下の道ではありません。しかし不忠の者でも、仁によって忠臣のように使いこなすのが主君の道です。だからあなたの主人は、筋の通った給金などは出し、集めるべき物はよく集め、出しては集め、集めては出すのです。この二つが義にかなっていれば、たとえ家や国を治めても何の難しいことがありましょう。奉公人でも、倹約する者は給金を貯めて主人の恩を知ります。ぜいたくな者は給金や小遣いでは足りず、足りない分は盗んで使いながら、『うちの旦那は何年勤めても勤めがいがない』と言います。あなたの主人はこれを知っています。だから給金を値切らず、見苦しい身なりをかえって喜ぶのです。これは誠の道で人を使っているのですから、忠実な者を多く得られるでしょう。孔子は『倹約していて失敗する者は少ない』と言いました。倹約する者を好むのはもっともです。国家を治めるにも倹約を本とするではありませんか。たとえ財宝があっても、善い人を得られなければ、何で家を治められるでしょう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』魯問魯君の嬖人、死す。魯君、之が為に誄す。魯人、因りて説びて之を用う。子墨子、之を聞きて曰く、「誄なる者は、死人の志を道うなり。今、説びて之を用うるに因るは、是れ猶お來首を以て服に從うがごときなり」と。魯陽文君、子墨子に謂いて曰く、「我に忠臣を語る者有り。之に俯せしむれば則ち俯し、之に仰がしむれば則ち仰ぎ、處らしむれば則ち静かに、呼べば則ち應ず。忠臣と謂う可きか」と。子墨子曰く、「之に俯せしむれば則ち俯し、之に仰がしむれば則ち仰ぐは、是れ景に似たり。處らしむれば則ち静かに、呼べば則ち應ずるは、是れ響に似たり。君、将た何をか景と響とに得んや。翟の所謂る忠臣なる者を以てせば、上に過ち有れば則ち之を微にして以て諌め、己に善有れば則ち之を上に訪ねて、敢えて以て外に告ぐる無く、其の邪を匡して其の善に入り、尚びて下に比する無く、美善を上に在らしめて怨讐を下に在らしめ、安樂を上に在らしめて憂慼を臣に在らしむ。此れ翟の忠臣と謂う者なり」と。
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