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荀子 / 宥坐篇

子貢觀於魯廟之北堂,出而問於孔子曰:「鄉者賜觀於太廟之北堂,吾亦未輟,還復瞻被九蓋皆繼,被有說邪?匠過絕邪?」孔子曰:「太廟之堂亦嘗有說,官致良工,因麗節文,非無良材也,蓋曰貴文也。」

新字:子貢観於魯廟之北堂,出而問於孔子曰:「鄉者賜観於太廟之北堂,吾亦未輟,還復瞻被九蓋皆継,被有説邪?匠過絶邪?」孔子曰:「太廟之堂亦嘗有説,官致良工,因麗節文,非無良材也,蓋曰貴文也。」

書き下し

子貢、魯の廟の北堂に観る。出でて孔子に問いて曰く、「郷者(さきごろ)賜(し)、太廟の北堂に観る。吾も亦未だ輟(や)めざるに、還(かえ)りて復(ま)た彼の九蓋(きゅうがい)の皆継げるを瞻(み)る。彼れ説(せつ)有るか。匠の過ちて絶ちしか」と。孔子曰く、「太廟の堂も亦嘗(かつ)て説有り。官、良工を致し、麗(うるわ)しきに因りて文を節す。良材無きに非ざるなり。蓋(けだ)し文を貴ぶを曰うなり」と。

現代語訳

子貢が魯の廟の北堂を見学した。出てきて孔子に尋ねた、「先ほど私は太廟の北堂を見てまいりました。まだ見終わらないうちに、あらためて見直したところ、あの九枚の蓋板がどれも継ぎ合わせになっておりました。あれには何か意味があるのでしょうか。それとも職人が誤って切ってしまったのでしょうか」。孔子は答えた、「太廟の堂にも、やはり意味があるのだ。役所は腕のよい工匠を招き、美しさに応じて装飾を整えさせた。よい材木がなかったわけではない。おそらく、あれは文(かざり・あや)を尊ぶということを言っているのだ」。

解説

宥坐篇の最後は、子貢の素朴な疑問から始まります。魯の太廟の北堂を見ると、屋根の九枚の板がどれも継ぎ合わせになっている。よい材木が手に入らなかったのか、それとも職人が誤って切ってしまったのか、と。孔子の答えは、そのどちらでもありません。腕のよい工匠を招き、わざわざ継ぎ目を作って装飾を整えたのだ、材木がなかったわけではない、と言います。つまり継ぎ目は失敗の跡ではなく、文(あや・かざり)を大切にした意図的な仕事だったのです。荀子の思想の中心には礼があり、礼とは形式やかざりを軽んじず、むしろそこに意味を込めるという立場です。効率だけを見れば継ぎ目のない一枚板のほうが早い。しかし人が集う場では、あえて手間をかけた形が敬意を伝えます。私たちの仕事でも、資料の体裁や言葉づかいといった「かざり」は無駄ではなく、相手への姿勢そのものだと気づかされます。

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