都鄙問答 / 卷之四・醫ノ志ヲ問ノ段
且病治セザルハ、是非ナシトモ云ベシ、子曰、人無恆不可以作巫醫、善哉ト、醫ハ、人ノ生死ヲ寄タノムモノナリ、人ノ命ヲ惜ヲ以テ、我心トセザレバ、過ノ不仁多カルベシ、我命ヲ惜心ヲ以テ、病人ヲ愛セバ、過スクナカラン、斯ノゴトクセバ、實ニ仁愛ノ醫者ト成ベシ、其仁愛ヲ失ザレバ、コレ醫ノ恆ト云ベキカ、コレヲ味ヒ見バ、治シガタキ病人アラバ、何ホドモ醫書ニ眼ヲサラシ工夫スベシ、博學ノ爲ニハアラネドモ、病人ヲ實ニ愛憐スル所ヨリ、終ニ博學ノ名醫ト成ルベシ、博學ト云ハ、詩作文章ヲ事トスルニハ非ズ、此醫ノ志スベキ所ノ大略ヲ云、
新字:且病治セザルハ、是非ナシトモ云ベシ、子曰、人無恒不可以作巫医、善哉ト、医ハ、人ノ生死ヲ寄タノムモノナリ、人ノ命ヲ惜ヲ以テ、我心トセザレバ、過ノ不仁多カルベシ、我命ヲ惜心ヲ以テ、病人ヲ愛セバ、過スクナカラン、斯ノゴトクセバ、実ニ仁愛ノ医者ト成ベシ、其仁愛ヲ失ザレバ、コレ医ノ恒ト云ベキカ、コレヲ味ヒ見バ、治シガタキ病人アラバ、何ホドモ医書ニ眼ヲサラシ工夫スベシ、博学ノ為ニハアラネドモ、病人ヲ実ニ愛憐スル所ヨリ、終ニ博学ノ名医ト成ルベシ、博学ト云ハ、詩作文章ヲ事トスルニハ非ズ、此医ノ志スベキ所ノ大略ヲ云、
書き下し
且つ病治せざるは、是非なしとも云ふべし。子曰く、人にして恒無くんば、以て巫医を作すべからず、善いかなと。医は、人の生死を寄せたのむものなり。人の命を惜しむを以て、我が心とせざれば、過ちの不仁多かるべし。我が命を惜しむ心を以て、病人を愛せば、過ちすくなからん。斯くのごとくせば、実に仁愛の医者と成るべし。其の仁愛を失はざれば、これ医の恒と云ふべきか。これを味はひ見ば、治しがたき病人あらば、何ほども医書に眼をさらし工夫すべし。博学の為にはあらねども、病人を実に愛憐する所より、終に博学の名医と成るべし。博学と云ふは、詩作文章を事とするには非ず。此れ医の志すべき所の大略を云ふ。
現代語訳
それでも病が治らないのなら、仕方がないとも言えます。孔子は『人として恒(変わらない心)がなければ、巫医にもなれない。よい言葉だ』と言いました。医者は人の生死を託されるものです。人の命を惜しむことを自分の心としなければ、不仁のあやまちが多くなるでしょう。自分の命を惜しむ心で病人を愛すれば、あやまちは少なくなります。そうすれば、まことに仁愛の医者になれます。その仁愛を失わないことこそ、医者の恒と言うべきでしょう。これをよく味わえば、治しにくい病人がいれば、いくらでも医書に目をさらして工夫するはずです。博学になるためではなくとも、病人を本当に愛おしむところから、ついには博学の名医になるのです。博学とは詩や文章を事とすることではありません。これが医者の志すべきことの大略です。
解説
この章句が説くこと
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