都鄙問答 / 卷之四・醫ノ志ヲ問ノ段
療治スベキコトナリ、藥禮ヲ思ハズトイヘドモ、病家ヨリハ、一命ヲ賴ムコトナレバ、身分相應ノ謝禮ハ有コトナリ、或人云ヘルコトアリ、渡世ノ爲ナラバ、醫者ハスベキ者ニアラズトイヘリ、藥ヲホドコスト云所ヨリ見レバ、左モ有ベキコト哉、渡世ノタメニセバ、藥禮ノ滯ル所ヘハ、往ガタキ心モ出ベキコトナリ、追付見舞ント云テ延引致シ、其病人若死ニモ至ラバ、天命トハ云ナガラ、其醫ノ心ニ成テ見バ、我ヨリ不仁ノ私欲ヲ以テ、カクナシ行ヒ、天命ト片ヅケテハ置ガタカルベシ、孟子曰、殺人以刃與政、有以異乎、無以異也ト、殺ス品ハ替ルトモ、罪ニカハリハ有ベカラズ、恐ルベキコトナリ、心一杯ヲツクシ、人ノ命ヲ惜ム仁心アリテ、藥ヲホドコシ、
新字:療治スベキコトナリ、薬礼ヲ思ハズトイヘドモ、病家ヨリハ、一命ヲ頼ムコトナレバ、身分相応ノ謝礼ハ有コトナリ、或人云ヘルコトアリ、渡世ノ為ナラバ、医者ハスベキ者ニアラズトイヘリ、薬ヲホドコスト云所ヨリ見レバ、左モ有ベキコト哉、渡世ノタメニセバ、薬礼ノ滞ル所ヘハ、往ガタキ心モ出ベキコトナリ、追付見舞ント云テ延引致シ、其病人若死ニモ至ラバ、天命トハ云ナガラ、其医ノ心ニ成テ見バ、我ヨリ不仁ノ私欲ヲ以テ、カクナシ行ヒ、天命ト片ヅケテハ置ガタカルベシ、孟子曰、殺人以刃与政、有以異乎、無以異也ト、殺ス品ハ替ルトモ、罪ニカハリハ有ベカラズ、恐ルベキコトナリ、心一杯ヲツクシ、人ノ命ヲ惜ム仁心アリテ、薬ヲホドコシ、
書き下し
療治すべきことなり。薬礼を思はずといへども、病家よりは、一命を頼むことなれば、身分相応の謝礼は有ることなり。或人云へることあり、渡世の為ならば、医者はすべき者にあらずといへり。薬をほどこすと云ふ所より見れば、左も有るべきこと哉。渡世のためにせば、薬礼の滞る所へは、往きがたき心も出づべきことなり。追付け見舞はんと云ひて延引致し、其の病人若し死にも至らば、天命とは云ひながら、其の医の心に成りて見ば、我より不仁の私欲を以て、かくなし行ひ、天命と片づけては置きがたかるべし。孟子曰く、人を殺すに刃と政とを以てす、以て異なること有るか、以て異なること無きなりと。殺す品は替るとも、罪にかはりは有るべからず。恐るべきことなり。心一杯をつくし、人の命を惜しむ仁心ありて、薬をほどこし、
現代語訳
治療すべきなのです。謝礼を考えないといっても、患者の家からすれば命を頼むのですから、身分相応の謝礼はあるものです。ある人が『暮らしのためなら医者はするものではない』と言ったことがあります。薬を施すという点から見れば、もっともなことでしょう。暮らしのためにやれば、謝礼の滞っている家には行きにくい気持ちも出てくるはずです。『追って見舞います』と言って先延ばしにし、その病人がもし死んでしまったら、天命とは言っても、その医者の心になってみれば、自分の不仁な私欲からそうしたのであって、天命と片づけてはおけないでしょう。孟子は『人を殺すのに刃を用いるのと政治を用いるのと、違いがあるか。違いはない』と言いました。殺す手段は違っても罪に違いはありません。恐るべきことです。心いっぱいを尽くし、人の命を惜しむ仁の心で薬を施し、
解説

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『弁名』元亨利貞故に易の亨・利は、其の義相似たり。亨は其の道の行はるるを主として之を言ひ、利は其の事を行ひて成功有るを主として之を言ふ。是れ其の異なるのみ。仮如へば聘享を以て之を言へば、則ち此に藉りて諸侯和順し、国其の福を被る、是れ利なり。故に経文は利を受くる者を主として之を言ふ。而して文言の「物を利す」と曰ふに至りては、則ち利を施す者を主として之を言ふ。物を利すとは、万物を利益す、是れ仁なり。必ず義を以て之を済して、而る後に物得て利益すべし。故に「物を利して以て義を和するに足る」と曰ふ。和とは五味相和するの和の如し。異を以て同を済すを謂ふなり。仁は大なり。苟も義以て之を差別するに非ずんば、則ち仁成すべからず。是れ文言は皆君子の道を以て易を解するのみ。
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『五常訓』巻之五・智一天命を知るとは、人の吉凶禍福死生は、皆定まれる天命あり。生れつきたる分限あり。分外のさいはひを、人にへつらひ求めても、神にへつらひ祈りても、必得べからざる事を知るを云ふ。然るに、小人は天命を知らず。わざはひあれば、手立を以てのがれんとし、利をねがひては、人にへつらひて、富貴福禄を得んとす。ここを以て、義理をすて、利欲にしたがひて恥ぢず。又いのるまじき理を知らで、神にへつらひて、福を求め、禍をのがれんとす。君子は義理をたつとんで、天命を知る故に、義にそむける事は、大なる利を得るといへど行はず。害ありといへども避けず。天命の求むべからざるを知りて、義に害なしといへども求めず。しかるに、若みだりに利を求め、害をのがれんとして、其益なきことをせば、天命を知らずして、愚なりと云ふべし。何ぞ君子とすべけんや。
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『大和俗訓』巻之四・心術下一利を求むれば必害あり、福を求むれば必禍あり。故に韓詩外伝に曰、利は害の本、福は禍の先とす。求めざるに自然に福来るはよし。われより求むべからず。我より求めたる福は、必禍となる。唯わが身をつつしみ、分を安んじ、わが職分をつとめて、天命にまかすべし。利とは財利のみにあらず、一切わが身のために便よきことは、皆利なり。我が為に便よきことを計るは、皆人に害あり。故にわが利は人の害なり。人の害は又わが害となる。たとへば環のはしなくして、めぐりて又かへるが如し。よく此理を知りて、利をむさぼるべからず。
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