都鄙問答 / 卷之四・淨土宗之僧、念佛ヲ勸之段
曰、否猶大事アリ、三重病人ト生コトハ、過去ノ因緣ナリ、此ヲ助クル傳アリ、三世ヲ攝テ救コトハ儒道ニハナキニアラズヤ、答、左樣ノ敎ハ、傳ヘ來ルコトナシ、天地ノ間ニ生ルヽ者ハ、天ヲ父トシ、地ヲ母トシ、自ラ生ズ、朱子曰、自天降生民、則既莫不與之以仁義禮智之性矣、然其氣質之禀或不能齊ト、今日、人ニ生レタル者ハ、五常五倫ノ敎アリ、君臣ノ義、父子ノ親、夫婦ノ別、兄弟ノ序、朋友ノ信、コレヲ能行ヒ、仁義禮智ノ性ヲ全フシ、天命ニ至ラシムル敎ナリ、草木ハ、天ニタガハザルニ因テ、敎ハ不入、人ハ喜怒哀樂ノ情ニ因テ、天命ニソムク、故ニ敎ヲナシテ、人ノ道ニ入レシム、固啞ナレバイハズ、聾ナレバ聞ズ、盲ナレバ見ズ、
新字:曰、否猶大事アリ、三重病人ト生コトハ、過去ノ因縁ナリ、此ヲ助クル伝アリ、三世ヲ摂テ救コトハ儒道ニハナキニアラズヤ、答、左様ノ教ハ、伝ヘ来ルコトナシ、天地ノ間ニ生ルヽ者ハ、天ヲ父トシ、地ヲ母トシ、自ラ生ズ、朱子曰、自天降生民、則既莫不与之以仁義礼智之性矣、然其気質之禀或不能斉ト、今日、人ニ生レタル者ハ、五常五倫ノ教アリ、君臣ノ義、父子ノ親、夫婦ノ別、兄弟ノ序、朋友ノ信、コレヲ能行ヒ、仁義礼智ノ性ヲ全フシ、天命ニ至ラシムル教ナリ、草木ハ、天ニタガハザルニ因テ、教ハ不入、人ハ喜怒哀楽ノ情ニ因テ、天命ニソムク、故ニ教ヲナシテ、人ノ道ニ入レシム、固唖ナレバイハズ、聾ナレバ聞ズ、盲ナレバ見ズ、
書き下し
曰く、否、猶大事あり。三重病人と生るゝことは、過去の因縁なり。此を助くる伝あり。三世を摂ねて救ふことは儒道にはなきにあらずや。答ふ、左様の教は、伝へ来ることなし。天地の間に生るゝ者は、天を父とし、地を母とし、自ら生ず。朱子曰く、天より生民を降すより、則ち既に之に与ふるに仁義礼智の性を以てせざること莫し。然れども其の気質の禀くること、或は斉しきこと能はずと。今日、人に生れたる者は、五常五倫の教あり。君臣の義、父子の親、夫婦の別、兄弟の序、朋友の信、これを能く行ひ、仁義礼智の性を全うし、天命に至らしむる教なり。草木は、天にたがはざるに因りて、教は入らず。人は喜怒哀楽の情に因りて、天命にそむく。故に教をなして、人の道に入れしむ。固より唖なればいはず、聾なれば聞かず、盲なれば見ず。
現代語訳
僧「いいえ、まだ大事があります。三重の病人に生まれるのは過去の因縁によります。これを助ける伝授があるのです。過去・現在・未来の三世にわたって救うことは、儒道には無いのではありませんか。」梅岩「そのような教えは伝わっていません。天地の間に生まれる者は、天を父とし地を母として、おのずから生まれます。朱子は『天が人を生み出したときから、仁義礼智の性を与えなかったことはない。ただ、受けた気質はそろっていないことがある』と言いました。人に生まれた者には五常五倫の教えがあります。君臣の義、父子の親、夫婦の別、兄弟の序、朋友の信をよく行い、仁義礼智の性を全うして天命に至らせる教えです。草木は天に背かないので教えは要りません。人は喜怒哀楽の情によって天命に背くので、教えによって人の道に入らせるのです。もとより、口がきけなければ言わず、耳が聞こえなければ聞かず、目が見えなければ見ません。」
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『弁名』智命を知るとは、天命を知るなり。天の命ずる所何如を知るを謂ふなり。先王の道は、天に本づき、天命を奉じて以て之を行ふ。君子の道を学ぶも、亦た以て天職を奉ぜんと欲するのみ。我道を学び徳を成して爵至らず、是れ天我に命じて以て道を人に伝へしむるなり。君子は教学を以て事と為し、人知らずして慍らず、是れ之を命を知ると謂ふ。凡そ人の力は、及ぶ有り、及ばざる有り。強ひて其の力の及ばざる所の者を求むるは、不智の大なる者なり。故に曰く、「命を知らざれば、以て君子為ること無きなり」と。後儒或いは其の然る所以の理を知ると曰ひ、或いは吉凶禍福を知ると曰ひ、或いは名利得失に毫も心を動かさずと曰ふ。皆道を知らざる者の言のみ。
-
『翁問答』上卷之末かの病人悪寒発熱の病勢おとろへ本服しぬれば、常の人の如くに暑き寒さをおぼゆるものなり、その如く運命のいきをひおとろへて其分数極まりぬれば、必らず悪人は六極のがれ難く、善人は五福をうくるものなり、しかるゆへに盗跖は無病息災に難なくながいきして暮しぬる様なれども、おのれと六極の剛悪におちいりて、至誠無息の神理をうしなひ、万世不朽の悪名をながしぬれば、六極の報応さだかならずやまた顔子は箪瓢陋巷不幸短命なれども、五福の攸好徳をうけ、真楽の介福めでたく長在不滅の神理あきらかにして、万世きはまりなく、公爵の追贈四配の祭祀をうけ給ひぬれば、五福の嚮命あきらかならずや運命のいきおひによつて一旦見かけは福善禍淫の常にたがふやうなれども、畢竟しんじつの端的終には天命本然の常にたちかへるものなり、
-
『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段答ふ、其の一家一門の議は、皆々法を知らざるゆへなり。道有りて聚むる金銀は天命なり。天の賜ふ財を舎てず、天の命にそむかず、約を以て礼の本を守れり。又道を行ふ者は、他のそしりは、有るならひなり。孟子曰く、傷むこと無し、士は茲の多口に憎まる。詩に云ふ、憂心悄悄たり、群小に慍まると。孔子なりと。聖人の行ひは、小人の行ひに違へる故、衆の口の為に、孔子も譏りに逢ひ玉へり。又美食を好まざるは、身の分限なり。二汁五菜七菜などと云ふ重き料理は、下々のことにあらず。御上より品を分けて見ば、汝の親方の料理は、今少し奢にても有るべし。それを一門衆は、箸を取り初むる計りとは、分を知らざる奢る者なり。先づ飢饉年には、飯米の調へ代を借り、汝の親方の恵みにより飢ゑに及ばず、それを忘れ、身の分を知らず、
-
尚書・康誥惟れ命は常には于いてせず。
-
『初学訓』巻之三一人力を以て天命を得る道あり。士は、君に仕へてよく勤むれば、君の寵を得て、禄あつし。農は、田をつとめてよく作れば、秋のなりはひ多し。工商は、其家業をよくつとむれば富む。およそ、四民ともに、よくつとむれば家富む。古語にも、人生はつとめにあり、つとむれば乏しからず、といへり。又倹約を行ひて、濫りに財を費さざれば、よく家をたもちて貧しからず。又養生をよくつつしめば、命ながし。是皆、人力を以て天命を得る理あり。
-
『大和俗訓』巻之四・心術下一天命は天のくだす所、人のうくる所なり。命は猶令のごとしとて、下知の意なり。天よりくだる故に天命といふ。天命に常あり変あり。善を行へば福あり、悪をすれば禍あるは常なり。善人に禍あり。悪人に福あるは変なり。人の吉凶、禍福、寿夭、富貴貧賤、万の幸不幸、皆天の命ずる所なり。人間の万事、天命にあらざる事なし。或は生れつきて定まり、或は時により不慮に命くだりて、偶然として福にあひ、わざはひにあふ。求めても命なければ得がたく、求めざれども命あれば得やすし。唯人の法を行ひて、天命をまつべし。善を行ひて福来るは常の理なれども、もし禍あるは、是また天命の変なれば、うれふべからず。およそ人天命を知りて、命にまかせ、うれひなき工夫をなすべし。天命を知らざれば、命のさだまりありて、福の求めがたく、禍の去りがたき事を知らず。利につき、害をさけんとし、人にへつらひ、神にへつらふは見ぐるし。愚なりといふべし。故に論語に、命を知らざれば以て君子たること無きなりといへり。