都鄙問答 / 卷之四・淨土宗之僧、念佛ヲ勸之段
答、然ラバ此ニ君ヲ弑シ、親ヲ弑シタル者アラン、ソノ罪逃ルヽコト不能、コレヲモ助クベキヤ、コレヲ助ケナバ、屆カヌ所ヲ、トヾカスト云モノナリ、助クルコト不能トイハヾ、三重病人モ助ルコト不能證シナリ、且三重病人ハ、見聞言コトナケレバ罪ナシ、罪ナキ者ニ助ケハイラズ、其外ニ助ルコト有ヤ、
新字:答、然ラバ此ニ君ヲ弑シ、親ヲ弑シタル者アラン、ソノ罪逃ルヽコト不能、コレヲモ助クベキヤ、コレヲ助ケナバ、届カヌ所ヲ、トヾカスト云モノナリ、助クルコト不能トイハヾ、三重病人モ助ルコト不能証シナリ、且三重病人ハ、見聞言コトナケレバ罪ナシ、罪ナキ者ニ助ケハイラズ、其外ニ助ルコト有ヤ、
書き下し
答ふ、然らば此に君を弑し、親を弑したる者あらん。その罪逃るゝこと能はず。これをも助くべきや。これを助けなば、届かぬ所を、とゞかすと云ふものなり。助くること能はずといはゞ、三重病人も助くること能はざる証しなり。且つ三重病人は、見聞言ふことなければ罪なし。罪なき者に助けはいらず。其外に助くること有りや。
現代語訳
梅岩「それなら、ここに主君を殺し、親を殺した者がいるとしましょう。その罪は逃れられません。これをも助けられるのですか。これを助けられるなら、届かない所に届かせたと言えるでしょう。助けられないと言うなら、三重の病人も助けられないという証拠です。それに三重の病人は、見ることも聞くことも話すこともないのですから、罪がありません。罪のない者に助けは要りません。ほかに助けることがあるのですか。」
解説
梅岩は二つの方向から僧の主張を崩します。一つは、主君や親を殺した大罪人を救えるかという問いです。救えるなら秘伝の力は本物ですが、救えないなら三重の病人も救えないことになります。もう一つは、僧自身の定義によれば、見聞言のない者には罪が生じないという点です。罪のない者に救いは要りません。相手の言葉を丁寧に受け取り、その内側から矛盾を示す論法です。感情的に否定せず、相手の前提に立って結論を確かめるやり方は、交渉や会議の場でも有効です。
この章句が説くこと
罪救い論法矛盾三重病人
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