都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段
天下ノ民、盡ク孝弟ヲ行フユヘニ、及ブ所廣大ニシテ、利益アル所ナリ、事ヲ以テ論ゼバ、佛氏タル人、罪咎アル者ナレバトテ、死罪ニ行フベキヤ、罪咎アル者ニテモ、弟子ニセント云テ、上ヨリモラヒ、助度思フハ出家ナリ、慈愛ノ心バカリニテ、聖人ノ法ナクシテ政道ヲ行ハヾ、反テ事ノ亂トナラン、武帝ノ如キ君アラバ、異端ト譏ルモ宜ナル哉、曰、手前ニハ、儒道ニテ身ヲ脩ムル志ナレバ、我爲ニ問ニハアラズ、然レドモ、上ヨリ下ニ至ルマデ、佛法ヲ信仰ノコトナリ、雜ユル時ニ害アルコトナラバ、上ニハ用ヒ玉ハザル筈ナリ、如何ナルコトゾヤ、
新字:天下ノ民、尽ク孝弟ヲ行フユヘニ、及ブ所広大ニシテ、利益アル所ナリ、事ヲ以テ論ゼバ、仏氏タル人、罪咎アル者ナレバトテ、死罪ニ行フベキヤ、罪咎アル者ニテモ、弟子ニセント云テ、上ヨリモラヒ、助度思フハ出家ナリ、慈愛ノ心バカリニテ、聖人ノ法ナクシテ政道ヲ行ハヾ、反テ事ノ乱トナラン、武帝ノ如キ君アラバ、異端ト譏ルモ宜ナル哉、曰、手前ニハ、儒道ニテ身ヲ脩ムル志ナレバ、我為ニ問ニハアラズ、然レドモ、上ヨリ下ニ至ルマデ、仏法ヲ信仰ノコトナリ、雑ユル時ニ害アルコトナラバ、上ニハ用ヒ玉ハザル筈ナリ、如何ナルコトゾヤ、
書き下し
天下の民、尽く孝弟を行ふゆゑに、及ぶ所広大にして、利益ある所なり。事を以て論ぜば、仏氏たる人、罪咎ある者なればとて、死罪に行ふべきや。罪咎ある者にても、弟子にせんと云ひて、上よりもらひ、助けたく思ふは出家なり。慈愛の心ばかりにて、聖人の法なくして政道を行はば、反つて事の乱れとならん。武帝の如き君あらば、異端と譏るも宜なる哉。曰く、手前には、儒道にて身を修むる志なれば、我が為に問ふにはあらず。然れども、上より下に至るまで、仏法を信仰のことなり。雑ふる時に害あることならば、上には用ひ給はざる筈なり。如何なることぞや。
現代語訳
天下の民がことごとく孝悌を行うので、及ぶところは広大で、利益があるのです。事柄で論じれば、仏者たる人が、罪のある者だからといって死罪にするでしょうか。罪のある者でも弟子にしようと言って上からもらい受け、助けたいと思うのが出家です。慈愛の心だけで、聖人の法なしに政治を行えば、かえって世の乱れとなるでしょう。武帝のような君がいれば、異端と非難されるのももっともです。問う人が言います。私自身は儒の道で身を修める志ですから、自分のために聞くのではありません。けれども上から下まで仏法を信仰しています。混ぜて用いると害があるのなら、お上はお用いにならないはずです。どういうことでしょうか。
解説

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論語・学而篇有子曰く、「其の人と為りや、孝弟にして上を犯すことを好む者は鮮なし。上を犯すことを好まずして乱を作すことを好む者は、未だ之有らざるなり。君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟や者は、其れ仁の本為るか。」
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『弁名』中庸和衷中庸・中和と曰ふが如きは、皆徳の名なり。中庸は、甚だ高からずして常に行ふべき者を謂ふ。孝弟忠信の如き是れなり。孔子の時、礼楽興らずして、民中庸の徳有ること鮮し。故に孔門の学は、中庸を以て要と為す。諸を「遠きに行くは必ず邇きよりし、高きに登るは必ず卑きよりす」に辟ふ。所謂高明・精微・広大なる者は、皆中庸より之を導く。故に子思曰く「中庸に道る」と。中庸の徳有りと雖も、苟も道を学ばざれば、則ち以て君子と為すに足らず。故に孔子は民を以て之を言ふ。又た「小人の中庸」及び「中庸を択ぶ」の文有り。戦国の時、又た「其の材中庸に及ばず」の言有り。世俗流伝して、其の本義に非ずと雖も、亦た以て古言を見るべきのみ。庸の字の如きは、楽徳に亦た祇庸有り。之を神祇に用ふる者を祇と為し、之を民に用ふる者を庸と為す。書の所謂「庸庸祇祇」も亦た然り。民の功を庸と曰ふ。豈に易らざるの義ならんや。宋儒は辞に昧く、務めて精微の解を為し、亦た以て聖人の道に命く。誤れり。
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『弁名』孝悌孝悌は解を待たず、人の皆知る所なり。但だ古に至徳と称する者三あり。泰伯の譲、文王の恭、及び孝を至徳要道と称する、是れなり。人貴賤と無く、父母有らざる莫し。父母之を膝下に生む。它の百行の如きは、或いは強壮にして乃ち能く之を行ふ。唯だ孝のみ幼きより行ふべし。它の百行は、或いは学ぶに非ずんば能く之を行ふ無し。唯だ孝のみ、心誠に之を求むれば、学ばずと雖も能くすべし。親は身の本、身は親の枝なり。故に人君は必ず其の志を継ぎ其の事を述ぶるを以て孝の至りと為し、臣下は必ず身を立て名を揚げ其の父母を顕はすを以て孝の至りと為す。唯だ孝のみ以て神明に通ずべく、唯だ孝のみ以て天地を感ぜしむべし。是れ其の至徳為る所以なり。天下を和順するは、必ず孝弟より始む。故に先王宗廟養老の礼を立てて、以て躬ら天下を教ふ。是れ其の要道為る所以なり。
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『慎思録』巻之六父兄尊長、非理を以て我を虐使すること有るも、宜しく恭しく之に事ふべし。或は非理の求め有るも、敬して其の求めに応ずべし。厭苦吝惜すべからず。公処の直日に当たりては、宜しく期に先だちて速やかに行くべし。遅慢にして交代の期を失ふこと勿かれ。