論語 / 公冶長篇
子曰:「十室之邑,必有忠信如丘者焉,不如丘之好學也。」
新字:子曰:「十室之邑,必有忠信如丘者焉,不如丘之好学也。」
書き下し
子曰く、十室の邑にも、必ず忠信丘の如き者有らん。丘の学を好むに如かざるなり。
現代語訳
先生がおっしゃった。「十軒ばかりの小さな村にも、忠実さと誠実さにおいて私くらいの者は必ずいるだろう。ただ、私ほど学ぶことを好む者はいまい。」
解説
孔子が自分の何を誇り、何を誇らなかったかがはっきり出ている。誠実さについては、どこにでも自分と同じ人がいると言う。生まれつきの資質は特別ではない、という認識である。ただ一点、学び続けることについてだけは譲らなかった。これは謙遜と自負の組み合わせではなく、努力の対象を一つに絞った宣言と読むべきだろう。人柄で差をつけようとしても、誠実な人は世の中に大勢いる。差がつくのは、同じ誠実さを持ちながら学び続けたかどうかである。しかも学びは年齢と関係なく続けられる。若さや才能と違い、いつからでも積める。孔子が晩年まで自分を語るときに使ったのがこの一点だったことは、そのまま長く働く人への助言になっている。
この章句が説くこと
好学自負継続誠実孔子
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『呻吟語』内篇・問學・學を好むを貴び、尤も學を知るを貴ぶ浩瀚博雜の書に心を留め、靡麗刻削の辭に志を役し、鑿真亂俗の技に心を耽り、煩勞苛瑣の儀に勝を爭ふは、哀しむ可し。而るに醉夢する者は又た貿貿昏昏として、癡なるが若く病めるが若く、華衣甘食して一も心を用ふる所無し。尤も哀しむ可からずや。是の故に學者は學を好むを貴び、尤も學を知るを貴ぶ。
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