孔子家語 / 哀公問政
公曰:「子之言美矣、至矣。寡人實固,不足以成之也。」孔子曰:「好學近乎智,力行近乎仁,知恥近乎勇。知斯三者,則知所以修身;知所以修身,則知所以治人;知所以治人,則能成天下國家者矣。」
新字:公曰:「子之言美矣、至矣。寡人実固,不足以成之也。」孔子曰:「好学近乎智,力行近乎仁,知恥近乎勇。知斯三者,則知所以修身;知所以修身,則知所以治人;知所以治人,則能成天下国家者矣。」
書き下し
公曰わく、「子の言美なり、至れり。寡人実に固にして、以て之れを成すに足らざるなり。」孔子曰わく、「学を好むは智に近く、力めて行うは仁に近く、恥を知るは勇に近し。斯の三つの者を知れば、則ち身を修むる所以を知る。身を修むる所以を知れば、則ち人を治むる所以を知る。人を治むる所以を知れば、則ち能く天下国家を成す者なり。」
現代語訳
哀公は言った。「あなたの言葉は美しく、この上ないものです。しかし私は実に頑固で愚かなので、それを成し遂げるだけの力がありません。」孔子は言った。「学ぶことを好むのは智に近く、努めて実行するのは仁に近く、恥を知ることは勇に近いものです。この三つを知れば、身を修める方法を知ることになります。身を修める方法を知れば、人を治める方法を知ることになります。人を治める方法を知れば、天下国家を成し遂げることができるのです。」
解説
前段の壮大な理念に対し、哀公が「自分にはとても実行できない」と弱音をこぼしたのに対し、孔子がより身近で実践しやすい入り口を示す章です。智・仁・勇という抽象的な三つの徳を、それぞれ「学ぶことを好む」「努めて実行する」「恥を知る」という具体的で誰にでも取り組みやすい態度に置き換えている点が特徴的です。壮大な理想を語るだけでなく、相手の弱音に応じて実行可能な第一歩を示す孔子の指導のあり方がうかがえます。身を修める、人を治める、天下国家を成すという段階を踏んだ論理構成は、個人の日々の心がけが、やがて組織や社会全体の統治にまでつながっていくという儒家的な発想をよく表しています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
好学力行知恥智仁勇修身
関連する章句
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『洗心洞箚記』後自述嗚呼、之を総ぶるに、忠信の人と雖も、然も学を好まざれば、則ち孔子の坊を潰決するに庶し。而るを況んや浮文冥行の人をや。況んや徒に詩書執礼を学ぶ者をや。而して其の好学の二字は、一つは則ち孔子自ら言ひ、一つは則ち顔子を称するに之を以てし、而して未だ嘗て之を其の余の人に許さず。則ち其の重きこと知るべし。是の故に人孔門の四教を奉遵して、以て詩書執礼に従事すと雖も、然も其の好学の訣を知らざれば、則ち将に其の性の近き所に従ひて入らんとして、却つて其の性の近き所に偏り、以て道徳太虚の微を窺ふを得ず、遂に浮文冥行忠信にして学を好まざるの窠臼に墜ちて、一生頭を出だし身を跳らすこと能はず。古往今来、其の人数ふるに堪へず。是れ豈に惜しむべからざらんや。故に後進者は、好学の訣を知らざるべからざるなり。
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『近思録』巻2 為学聖人の道は、耳に入り、心に存す。之を蘊めて徳行と為し、之を行ひて事業と為す。彼の文辞を以てするのみなる者は陋なり。或るひと問ふ、聖人の門、其の徒三千、独り顔子を称して学を好むと為す。夫れ詩書六芸、三千子習ひて通ぜざるに非ざるなり、然らば則ち顔子の独り好む所の者は、何の学ぞや。伊川先生曰く、学びて以て聖人の道に至るなり。聖人は学びて至るべきか。曰く、然り。学の道は如何。曰く、天地精を儲へ、五行の秀を得る者を人と為す。其の本や真にして静、其の未だ発せざるや五性具はる、曰く仁義礼智信。形既に生ずれば、外物其の形に触れて其の中を動かす。其の中動きて七情出づ、曰く喜怒哀楽愛悪欲。情既に熾んにして益々蕩けば、其の性鑿(うが)たる。是の故に覚る者は其の情を約して、中に合はしむ。其の心を正しくし、其の性を養ふ。愚なる者は則ち之を制することを知らず、其の情を縦にして邪僻に至り、其の性を梏して之を亡ぼす。然れども学の道は、必ず先づ諸を心に明らかにし、養ふ所を知る。然る後に力行して以て至らんことを求む。所謂「明らかなるよりして誠なり」なり。之を誠にするの道は、道を信ずること篤きに在り。道を信ずること篤ければ則ち之を行ふこと果なり、之を行ふこと果なれば則ち之を守ること固し。仁義忠信、心を離れず。「造次にも必ず是に於てし、顛沛にも必ず是に於てす」。出処語黙も必ず是に於てす。久しくして失はざれば、則ち之に居ること安し。動容周旋礼に中りて、邪僻の心自りて生ずる無し。故に顔子の事とする所は、則ち曰く、「礼に非ざれば視ること勿れ、礼に非ざれば聴くこと勿れ、礼に非ざれば言ふこと勿れ、礼に非ざれば動くこと勿れ」と。仲尼之を称して、則ち曰く、「一善を得れば則ち拳拳服膺して之を失はず」と。又曰く、「怒りを遷さず、過ちを弐たびせず」と。「不善有れば未だ嘗て知らずんばあらず、之を知れば未だ嘗て復た行はず」なり。此れ其の之を好むこと篤く、学ぶの道なり。然れども聖人は則ち「思はずして得、勉めずして中る」。
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論語・子張篇子夏曰く、日に其の亡き所を知り、月に其の能くする所を忘るること無くんば、学を好むと謂う可きのみ。
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