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都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段

答、敎ノ道ハ、一定ノ中ニ膠シテ變ヲ不知、一ヲ取テ百ヲ舍ル如キニハ非ズ、喩テイハヾ、一本ノ丸木桴ニ乘ガ如シ、ヨク乘馴シ者ハ、何ヲ踐デモ、踐所直ニ中ト成テ、乘コトヤスシ、乘馴ザル者ハ、丸木ユヘニグレグレトシ、踐所ヲ知ラズシテ、乘コトカタシ、學問ノ道モ如斯、心ヲ知ザレバ、聞ドモ不聞、又心ヲ知ル者ハ、何ヲ聞テモ一理ナレバ、皆我心ニ合リ、其放心ヲ求ルト說モ、聖人ノ心ハ無心ナリト說モ、二ツニハ非ズ一致ナリ、天地ハ、物ヲ生ルヲ以テ心トス、其生ル所ノ物、各天地物ヲ生ル心ヲ得テ心トナス、然レドモ人欲ニ掩レテ此心ヲ失ス、故ニ心ヲ盡シテ、天地ノ心ニ還ル所ニテイフ時ハ、放心ヲ求ルト說、又求メウレバ、天地ノ心トナル、天地ノ心ニナル所ニテ說トキハ、無心ト云、天地ハ無心ナレドモ、四季行レテ萬物生、聖人モ、天地ノ心ヲ得テ私心ナク、無心ノ如クナレドモ、仁義禮智行ハル、一旦豁然トシテ貫通スル時ハ、疑ヒハ晴ルモノナリ、聖學ヲ論ズルトイフハ、此心ヲ知テ後ノコトヽ思ハルベシ、

新字:答、教ノ道ハ、一定ノ中ニ膠シテ変ヲ不知、一ヲ取テ百ヲ舎ル如キニハ非ズ、喩テイハヾ、一本ノ丸木桴ニ乗ガ如シ、ヨク乗馴シ者ハ、何ヲ践デモ、践所直ニ中ト成テ、乗コトヤスシ、乗馴ザル者ハ、丸木ユヘニグレグレトシ、践所ヲ知ラズシテ、乗コトカタシ、学問ノ道モ如斯、心ヲ知ザレバ、聞ドモ不聞、又心ヲ知ル者ハ、何ヲ聞テモ一理ナレバ、皆我心ニ合リ、其放心ヲ求ルト説モ、聖人ノ心ハ無心ナリト説モ、二ツニハ非ズ一致ナリ、天地ハ、物ヲ生ルヲ以テ心トス、其生ル所ノ物、各天地物ヲ生ル心ヲ得テ心トナス、然レドモ人欲ニ掩レテ此心ヲ失ス、故ニ心ヲ尽シテ、天地ノ心ニ還ル所ニテイフ時ハ、放心ヲ求ルト説、又求メウレバ、天地ノ心トナル、天地ノ心ニナル所ニテ説トキハ、無心ト云、天地ハ無心ナレドモ、四季行レテ万物生、聖人モ、天地ノ心ヲ得テ私心ナク、無心ノ如クナレドモ、仁義礼智行ハル、一旦豁然トシテ貫通スル時ハ、疑ヒハ晴ルモノナリ、聖学ヲ論ズルトイフハ、此心ヲ知テ後ノコトヽ思ハルベシ、

書き下し

答ふ、教への道は、一定の中に膠して変を知らず、一を取りて百を捨つる如きには非ず。喩へていはば、一本の丸木桴に乗るが如し。よく乗り馴れし者は、何を践んでも、践む所直に中と成りて、乗ることやすし。乗り馴れざる者は、丸木ゆゑにぐれぐれとし、践む所を知らずして、乗ることかたし。学問の道もかくの如し。心を知らざれば、聞けども聞こえず。又心を知る者は、何を聞きても一理なれば、皆我が心に合へり。其の放心を求むると説くも、聖人の心は無心なりと説くも、二つには非ず一致なり。天地は、物を生ずるを以て心とす。其の生ずる所の物、各天地の物を生ずる心を得て心となす。然れども人欲に掩はれて此の心を失す。故に心を尽くして、天地の心に還る所にていふ時は、放心を求むると説き、又求め得れば、天地の心となる。天地の心になる所にて説くときは、無心と云ふ。天地は無心なれども、四季行はれて万物生ず。聖人も、天地の心を得て私心なく、無心の如くなれども、仁義礼智行はる。一旦豁然として貫通する時は、疑ひは晴るるものなり。聖学を論ずるといふは、此の心を知りて後のことと思はるべし。

現代語訳

梅岩は答えます。教えの道は、一つの型に固まって変化を知らず、一つを取って百を捨てるようなものではありません。たとえるなら、一本の丸太の筏に乗るようなものです。よく乗り慣れた人は、どこを踏んでも踏んだところがそのまま中心になって、楽に乗れます。乗り慣れない人は、丸太なのでぐらぐらして、どこを踏めばよいか分からず、乗るのが難しい。学問の道も同じです。心を知らなければ、聞いても聞こえません。心を知る者は、何を聞いても一つの理なので、みな自分の心にかないます。放たれた心を求めると説くのも、聖人の心は無心だと説くのも、二つではなく一致しています。天地は物を生み出すことを心とします。生み出された物は、それぞれ天地の物を生む心を得て心としています。けれども人は欲に覆われてこの心を失います。だから心を尽くして天地の心に還るという面から言うときは「放心を求める」と説き、求め得れば天地の心になります。天地の心になったという面から説くときは「無心」と言うのです。天地は無心でも四季が巡って万物が生まれ、聖人も天地の心を得て私心がなく、無心のようでいて仁義礼智が行われます。ひとたびからりと貫き通れば、疑いは晴れるものです。聖学を論じるのは、この心を知った後のことと思いなさい。

解説

性理問答ノ段の結びにあたる段です。「心を求めよ」と「無心」の矛盾を、梅岩は丸木の筏のたとえで解きます。乗り慣れた人はどこを踏んでも中心になる。心を知る者には、どの言葉も一つの理に収まるということです。天地は物を生ずるを以て心とす(朱子の『仁説』などに見える考え)とし、失った心を取り戻す面では「放心を求む」、取り戻した状態では「無心」と言う、同じ一つの心の両面だと整理します。「一旦豁然として貫通す」は朱子の大学章句補伝の言葉です。原則をつかめば、状況ごとの言い方の違いに振り回されない、という学び方の要諦です。

この章句が説くこと

無心放心天地の心朱子貫通

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