都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段
佛ノ道ニ背クベシ、世法ヲ治ルニハ、聖人ノ道ニアラズシテ、何ヲ以テ治ンヤ、故ニ儒道佛道老子莊子ニ至ルマデ、盡ク此國ノ相トスルヤウニ、用ユルコトヲ可思、日本宗廟天照皇太神宮ヲ、宗源ト貴ビ奉リ、皇太神宮御寶敕ニ任セ、萬クダクダシキヲ拂ヒ舍テ、一心ノ定レル法ヲ尋テ、天ノ神ノ命ニ合フ惟一ヲ相ルニ、儒佛ノ法ヲ執リ用ユベシ、コヽヲ以テ一法ヲ舍ズ、一法ニ泥ズ、天地ニ不逆ヲ要トス、或曰、客ノ問所、未盡ザル所アリ、汝ガ答ヲ聞ニ、學問ノ道無他、其放心ヲ求ル而已トモ云ヒ、又聖人ノ心ハ無心ナリトモ說、無心ナラバ、心ヲ求ルコトハ有マジ、實ニ心ヲ求ルト思ハヾ、無心ト說ハ非ナリ、何ガ是、何ガ非ト、一ニ定メズシテ、加樣ニ紛ハシク說ハ、イカナルコトゾ、
新字:仏ノ道ニ背クベシ、世法ヲ治ルニハ、聖人ノ道ニアラズシテ、何ヲ以テ治ンヤ、故ニ儒道仏道老子荘子ニ至ルマデ、尽ク此国ノ相トスルヤウニ、用ユルコトヲ可思、日本宗廟天照皇太神宮ヲ、宗源ト貴ビ奉リ、皇太神宮御宝勅ニ任セ、万クダクダシキヲ払ヒ舎テ、一心ノ定レル法ヲ尋テ、天ノ神ノ命ニ合フ惟一ヲ相ルニ、儒仏ノ法ヲ執リ用ユベシ、コヽヲ以テ一法ヲ舎ズ、一法ニ泥ズ、天地ニ不逆ヲ要トス、或曰、客ノ問所、未尽ザル所アリ、汝ガ答ヲ聞ニ、学問ノ道無他、其放心ヲ求ル而已トモ云ヒ、又聖人ノ心ハ無心ナリトモ説、無心ナラバ、心ヲ求ルコトハ有マジ、実ニ心ヲ求ルト思ハヾ、無心ト説ハ非ナリ、何ガ是、何ガ非ト、一ニ定メズシテ、加様ニ紛ハシク説ハ、イカナルコトゾ、
書き下し
仏の道に背くべし。世法を治むるには、聖人の道にあらずして、何を以て治めんや。故に儒道仏道老子荘子に至るまで、尽く此の国の相けとするやうに、用ふることを思ふべし。日本の宗廟天照皇太神宮を、宗源と貴び奉り、皇太神宮の御宝勅に任せ、万くだくだしきを払ひ捨てて、一心の定まれる法を尋ねて、天の神の命に合ふ惟一を相くるに、儒仏の法を執り用ふべし。ここを以て一法を捨てず、一法に泥まず、天地に逆らはざるを要とす。或るひと曰く、客の問ふ所、未だ尽くさざる所あり。汝が答へを聞くに、学問の道他無し、其の放心を求むるのみとも云ひ、又聖人の心は無心なりとも説く。無心ならば、心を求むることは有るまじ。実に心を求むると思はば、無心と説くは非なり。何が是、何が非と、一に定めずして、かやうに紛はしく説くは、いかなることぞ。
現代語訳
仏の道に背くことになるでしょう。世の中を治めるには、聖人の道でなくて何で治めるでしょうか。だから儒道・仏道から老子・荘子に至るまで、ことごとくこの国を助けるものとして用いることを考えるべきです。日本の宗廟である天照皇大神宮を根本として貴び、皇大神宮の宝勅に従い、あらゆる煩わしいものを払い捨てて、一つの心の定まった法を尋ね、天の神の命にかなう「ただ一つ」を助けるために、儒仏の法を取り用いるべきです。こうして一つの法も捨てず、一つの法にもとらわれず、天地に逆らわないことを要とします。ある人が言いました。客の問いにはまだ尽くされていないところがあります。あなたの答えを聞くと、学問の道はほかでもない、放たれた心を求めることだけだとも言い、また聖人の心は無心だとも説く。無心ならば心を求めることはないはずです。本当に心を求めると思うなら、無心と説くのは誤りです。どちらが正しいとも決めず、このように紛らわしく説くのはどういうことですか。
解説
この章句が説くこと
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段微塵の中にも、神の国ありといはば、狭くして博しと云ふことを見て、一物一大極の疑ひを解く。他の書を見て解くといへども、全く儒の害をなすにあらず。儒を学びし道を以て、御神託を拝するに、少しも疑はしきこともなし。且つ仏老荘の教へも、いはば心をみがく磨ぎ種なれば、捨つべきにも非ず。一度琢きて後は、仏老荘より、百家衆技の類を寄せ聚め見ても、心は鏡の如し。物来たるときは即ち応じ、物去るときは、即ち霊々として一物を止めず。此の心を得て後に、聖人の教へに向かへば、明鏡に対して、我が形を見る如し。天地万物の上を見るも、惟一理にして、我が掌を見るに同じ、皆我が一体なり。日本紀に云ふ、天照太神手に宝鏡を持ちて、天忍穂耳尊に授けて祝ひて曰く、吾が児此の宝鏡を視まさんこと、当に猶ほ吾を視るがごとくすべし。与に床を同じくし殿を共にして、
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段一も捨てず一に泥まず、能く用ふるは名医なるべし。一方に泥み滞りて、時の変を知らざるは、名医とはいふべからず。天下国家を治むる道もかくの如し。古より有り来たる法を一として捨てず、一に泥まざるは、名医の諸薬を捨てずして、病を治するに同じ。天下国家を治むるに、儒道は善しといふとも、心闇くして泥むことあらば、必ず害あらん。是れ庸医の、人参を以て人を殺すが如し。金屑、眼に入る時は、忽ち翳となる。又仏法信仰するは、心を悟るためなり。仏法を以て得る心と、儒道を以て得たる心と、心に二品の替りあらんや。何の道にて心を得るとも、其の心を以て仁政を行ひ、天下国家を治め給ふに、何を以て害あらん。自ら悪を為し、刑罰にて死する者は、君の私を以て殺し給ふに非ず、何ぞ刑罰に心あらんや。書に曰く、自ら作せる災は活くべからず。聖人の政は天のごとし、無為にして治まる。刑鞭蒲朽ちて蛍空しく去り、諫鼓苔深くして鳥驚かずといへり。
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段答ふ、教への道は、一定の中に膠して変を知らず、一を取りて百を捨つる如きには非ず。喩へていはば、一本の丸木桴に乗るが如し。よく乗り馴れし者は、何を践んでも、践む所直に中と成りて、乗ることやすし。乗り馴れざる者は、丸木ゆゑにぐれぐれとし、践む所を知らずして、乗ることかたし。学問の道もかくの如し。心を知らざれば、聞けども聞こえず。又心を知る者は、何を聞きても一理なれば、皆我が心に合へり。其の放心を求むると説くも、聖人の心は無心なりと説くも、二つには非ず一致なり。天地は、物を生ずるを以て心とす。其の生ずる所の物、各天地の物を生ずる心を得て心となす。然れども人欲に掩はれて此の心を失す。故に心を尽くして、天地の心に還る所にていふ時は、放心を求むると説き、又求め得れば、天地の心となる。天地の心になる所にて説くときは、無心と云ふ。天地は無心なれども、四季行はれて万物生ず。聖人も、天地の心を得て私心なく、無心の如くなれども、仁義礼智行はる。一旦豁然として貫通する時は、疑ひは晴るるものなり。聖学を論ずるといふは、此の心を知りて後のことと思はるべし。
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段以て斎鏡と為すべしと。此の天照太神は、神璽の御徳、宝鏡宝剣の御徳見はれたまふ御神なり。中庸に所謂、誠よりして明らかなる、之を性と謂ふ者にして、天道なり。天忍穂耳尊は、中庸に所謂、明らかなるよりして誠なる、之を教と謂ふ者にして、教に由りて神璽の御徳に入り給ふ所なり。神璽の御徳に至り給へば、宝鏡宝剣の御徳は、其の中に籠り給へり。此の宝鏡を視ますこと、吾を視るごとくすべしとのたまへば、宝鏡を直に天照太神宮とも拝むべし。床を同じくし殿を共にすとのたまふは、宝鏡の御徳を離れ給はずば、代々の君、天下を平らかに治め給ふべしとの、御宝勅なりと拝すべし。此の理を知らずして事を行はば、君としては国を亡ぼし、臣としては家を乱し、政道正しからずして、無益の物を殺し、人欲肆にして、無道を行ひ、五倫五常の道に背き、出家は五戒を破り、
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段天下の民、尽く孝弟を行ふゆゑに、及ぶ所広大にして、利益ある所なり。事を以て論ぜば、仏氏たる人、罪咎ある者なればとて、死罪に行ふべきや。罪咎ある者にても、弟子にせんと云ひて、上よりもらひ、助けたく思ふは出家なり。慈愛の心ばかりにて、聖人の法なくして政道を行はば、反つて事の乱れとならん。武帝の如き君あらば、異端と譏るも宜なる哉。曰く、手前には、儒道にて身を修むる志なれば、我が為に問ふにはあらず。然れども、上より下に至るまで、仏法を信仰のことなり。雑ふる時に害あることならば、上には用ひ給はざる筈なり。如何なることぞや。
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段学び得ざれば益なし。仏家を学ぶとも、我が心を正しく得るならば善かるべし。心に二つの替りあらんや。仏家に習へば、心が外に替る者と思ふ者は、笑ふにも又絶えたり。仏家も、最初は儒学より入る僧多し。儒書が妨げになりて、仏意を得ること成り難きことを聞かず。儒者も其の如くに、仏法を以て、心の磨ぎ種にして心を得て、何ぞ儒家の妨げとなるべきや。既に仏氏儒者の方にて発明しても、用ふる所は仏法に用ふるなり。又経論に因りて見れば、仏は覚なり、覚は、一切衆生の迷ひ、解くるなりとあり。迷ひ解くれば、本に帰るゆゑに、三界唯一心と云ふ。迷ひの解けたる体を名付けて仏性と云ふ。仏性と云ふは、天地人の体なり。至極の所は、性を知る外に仏法あらんや。