都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段
答、佛法モ人ヲ助ル法ナリ、藥モ亦病ヲ助ル物ナリ、然レドモ法ヲ弘メ藥ヲ施シ、人ヲ助ルハ其人ニヨルベシ、世ニ醫者多キ中ニ、附子熊膽ヲ遣ヒ覺テ、療治スル醫者モアリ、又人參ヲ第一ニ用ヒテ、療治スル醫者モアリ、熱病ニ眞桑瓜ヤ水ヲ用ヒテ、病ヲ愈セシ醫者モアリ、如斯生冷ノ物ハ、毒ナリト云テ、多クハ醫者ノ用ヒザルモノナリ、假令大人參ノ如キ、能藥バカリ用ユトモ、病愈ザレバ何ノ益アラン、是ヲ以テ見ヨ、人參ヲ勝レタリトイハンヤ、附子ト熊膽ヲ劣リトイハンヤ、名醫ハ何ニテモ、病ノ可愈モノヲ用ヒテ疾ヲ愈シ、諸藥ヲ盡ク遣ヒ覺テ、療治スルコソ善カルベケレ、古シヘヨリ藥種トシテ出シ置ルヽ物、何ゾ棄ルコトアランヤ、
新字:答、仏法モ人ヲ助ル法ナリ、薬モ亦病ヲ助ル物ナリ、然レドモ法ヲ弘メ薬ヲ施シ、人ヲ助ルハ其人ニヨルベシ、世ニ医者多キ中ニ、附子熊胆ヲ遣ヒ覚テ、療治スル医者モアリ、又人参ヲ第一ニ用ヒテ、療治スル医者モアリ、熱病ニ真桑瓜ヤ水ヲ用ヒテ、病ヲ愈セシ医者モアリ、如斯生冷ノ物ハ、毒ナリト云テ、多クハ医者ノ用ヒザルモノナリ、仮令大人参ノ如キ、能薬バカリ用ユトモ、病愈ザレバ何ノ益アラン、是ヲ以テ見ヨ、人参ヲ勝レタリトイハンヤ、附子ト熊胆ヲ劣リトイハンヤ、名医ハ何ニテモ、病ノ可愈モノヲ用ヒテ疾ヲ愈シ、諸薬ヲ尽ク遣ヒ覚テ、療治スルコソ善カルベケレ、古シヘヨリ薬種トシテ出シ置ルヽ物、何ゾ棄ルコトアランヤ、
書き下し
答ふ、仏法も人を助くる法なり、薬も亦病を助くる物なり。然れども法を弘め薬を施し、人を助くるは其の人によるべし。世に医者多き中に、附子熊胆を遣ひ覚えて、療治する医者もあり。又人参を第一に用ひて、療治する医者もあり。熱病に真桑瓜や水を用ひて、病を愈せし医者もあり。かくの如き生冷の物は、毒なりと云ひて、多くは医者の用ひざるものなり。仮令大人参の如き、能き薬ばかり用ふとも、病愈えざれば何の益あらん。是を以て見よ、人参を勝れたりといはんや、附子と熊胆を劣れりといはんや。名医は何にても、病の愈ゆべきものを用ひて疾を愈し、諸薬を尽く遣ひ覚えて、療治するこそ善かるべけれ。古へより薬種として出だし置かるる物、何ぞ棄つることあらんや。
現代語訳
梅岩は答えます。仏法も人を助ける法であり、薬も病を助けるものです。けれども法を広め薬を施して人を助けられるかどうかは、その人しだいです。世に医者は多く、附子や熊胆を使いこなして治療する医者もいれば、人参を第一に用いて治療する医者もいます。熱病に真桑瓜や水を用いて病を治した医者もいます。こうした冷たいものは毒だと言って、多くの医者は用いません。たとえ高価な人参のような良い薬ばかり用いても、病が治らなければ何の益があるでしょう。これで考えてごらんなさい。人参が優れていると言えるか、附子や熊胆が劣っていると言えるか。名医は何であれ病の治るものを用いて病を治し、あらゆる薬を使いこなして治療するのがよいのです。昔から薬種として伝えられてきたものを、どうして捨てることがあるでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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