都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段
答、汝ノ如ク、聞得ザル者アレバ害ヲナス、聞得シ人ニハ、何ゾ害有ン、曰、汝ハ交用ルトキハ、害アリトイハルヽユヘニ、問コトナリ、答、我イフ所ハ左ニハ非ズ、佛法ノ用ヒヤウヲ知ラザレバ、害アルコトヲ云、曰、知ルト不知ト、用ヒヤウニ二品アルハ、イカナルコトゾヤ、
新字:答、汝ノ如ク、聞得ザル者アレバ害ヲナス、聞得シ人ニハ、何ゾ害有ン、曰、汝ハ交用ルトキハ、害アリトイハルヽユヘニ、問コトナリ、答、我イフ所ハ左ニハ非ズ、仏法ノ用ヒヤウヲ知ラザレバ、害アルコトヲ云、曰、知ルト不知ト、用ヒヤウニ二品アルハ、イカナルコトゾヤ、
書き下し
答ふ、汝の如く、聞き得ざる者あれば害をなす。聞き得し人には、何ぞ害有らん。曰く、汝は交へ用ふるときは、害ありといはるるゆゑに、問ふことなり。答ふ、我がいふ所は左には非ず。仏法の用ひやうを知らざれば、害あることを云ふ。曰く、知ると知らざると、用ひやうに二品あるは、いかなることぞや。
現代語訳
梅岩は答えます。あなたのように、よく聞き取れない者がいると害をなすのです。よく聞き取った人には何の害があるでしょう。問う人が言います。あなたは混ぜて用いると害があるとおっしゃるので、尋ねているのです。梅岩は答えます。私の言うのはそうではありません。仏法の用い方を知らなければ害がある、と言っているのです。問う人が言います。知っている場合と知らない場合とで、用い方に二通りあるとはどういうことですか。
解説
短いやりとりですが、議論の焦点がはっきりする段です。問う人は「儒仏を混ぜると害がある」と梅岩が言ったと受け取っていますが、梅岩は訂正します。害があるのは混ぜることそのものではなく、用い方を知らないことだ、と。道具や制度に善悪があるのではなく、使う側の理解しだいだという立場で、前段の「宝の徳も持つ人による」と響き合います。新しい手法を導入するとき、手法の是非より使いこなす理解があるかを問え、という指摘として読めます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
用い方仏法理解問答害
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