呻吟語 / 内篇・談道・筋肉に入り骨髓に沁む
只隔一絲,便算不得透徹之悟,須是入筋肉、沁骨髓。
新字:只隔一糸,便算不得透徹之悟,須是入筋肉、沁骨髄。
書き下し
只だ一絲を隔つるも、便ち透徹の悟と算へ得ず。須らく是れ筋肉に入り、骨髓に沁むべし。
現代語訳
糸一本を隔てているだけでも、突き抜けた悟りとは数えられません。筋肉に入り、骨の髄までしみ込まなければなりません。
解説
分かった気になる状態と、本当に分かった状態のあいだにある薄い隔たりを指します。糸一本という言い方が巧みで、遠く隔たっているのではなく、ほとんど届いているのに届いていない。だからこそ本人には差が見えません。判定の基準は骨の髄まで染みたかどうかで、これは頭ではなく身体の言葉です。前の段の忘れ得るという到達点とつながっています。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
理解徹底身体悟り習熟
関連する章句
-
『茶の本』第一章 人情の碗・与えるために行き、受けようとしない不幸にして、西洋の態度は東洋を理解するに都合が悪い。キリスト教の宣教師は与えるために行き、受けようとはしない。諸君の知識は、もし通りすがりの旅人のあてにならない話に基づくのでなければ、わが文学の貧弱な翻訳に基づいている。ラフカディオ・ハーンの義侠的ペン、または『インド生活の組織』の著者のそれが、われわれみずからの感情の松明をもって東洋の闇を明るくすることはまれである。
-
荀子・勧学篇百発して一を失えば、善射と謂うに足らず、千里蹞歩至らざれば、善御と謂うに足らず、倫類通ぜず、仁義一ならざれば、善学と謂うに足らず。学は固より一を学ぶなり。一たび出で、一たび入るは、涂巷の人なり。其の善なる者は少なく、不善なる者は多きは、桀紂盗跖なり。之を全くし之を尽くして、然る後に学者なり。
-
『驢鞍橋』卷中師衆に問ふ。一条の白棒天地を翻し、西来達磨の宗を滅却す。此の意会すや。一僧云ふ、直に滅却也。師云はく、達磨宗は好き事なるに、なせ滅却したぞ。僧云ふ、法の本法は無法也。師云はく、すまぬに仍て、早や語を引廻すと也。
-
『驢鞍橋』卷上一日意の暗き行者を諫めて曰く、其方は先づ言句を錬鍛べて意に徹すへし。彼者云、某一処を守る機有り、熟せば万事に相応すべき間、言句の意を明めて詮なしと存ず。但し無理に强く修すると、意を受くると差別有りや。師曰、中々意暗くしては修行はかどるべからす、先づ其方は専ら意を受習はるべしと也。
-
『驢鞍橋』卷下一僧問ふ、師何某は親しく出入して教を受けられけるが、却て師の法を謗せらるゝと承る、其仔細有りや。師聞て曰く、然るべし、三十日に一度ばかりづゝ、我面を見物に来る分にては、何として我意を知らんや、総而我思はくに違へば、誹謗するもの也、大略見物計の人多からんすと也。
-
『講孟余話』滕文公上 第四章「神農の言を為むる者許行あり」。許行は農家者流にて上古神農の言を称述する者と云へり。蓋し周の衰ふる、人君坐ながら富貴に生長し、飽食煖衣して、民事を以て念とせざると、世澆季にして風俗偸薄なるとを憤り、其の弊を矯めんと欲するの心切なるに因りて、「民と並び耕す」「市賈弐ならず」などと、過当の論を発するのみ。故に先づ許行が心を察し、然る後孟子の論を読むべし。孟子の論は人君の職重き、耕し且つ為すべきに非ざるを云ふ、民を教養し風俗を厚くするの道其の骨子たり。故に許行異端と雖も、其の用意は亦憐むべし。若し人君孟子の説を行ふこと能はずして、一概に許行を非とせば大いに非なり。