呻吟語 / 内篇・談道・筋肉に入り骨髓に沁む
只隔一絲,便算不得透徹之悟,須是入筋肉、沁骨髓。
新字:只隔一糸,便算不得透徹之悟,須是入筋肉、沁骨髄。
書き下し
只だ一絲を隔つるも、便ち透徹の悟と算へ得ず。須らく是れ筋肉に入り、骨髓に沁むべし。
現代語訳
糸一本を隔てているだけでも、突き抜けた悟りとは数えられません。筋肉に入り、骨の髄までしみ込まなければなりません。
解説
分かった気になる状態と、本当に分かった状態のあいだにある薄い隔たりを指します。糸一本という言い方が巧みで、遠く隔たっているのではなく、ほとんど届いているのに届いていない。だからこそ本人には差が見えません。判定の基準は骨の髄まで染みたかどうかで、これは頭ではなく身体の言葉です。前の段の忘れ得るという到達点とつながっています。
この章句が説くこと
理解徹底身体悟り習熟
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