茶の本 / 第一章 人情の碗・与えるために行き、受けようとしない
不幸にして、西洋の態度は東洋を理解するに都合が悪い。キリスト教の宣教師は与えるために行き、受けようとはしない。諸君の知識は、もし通りすがりの旅人のあてにならない話に基づくのでなければ、わが文学の貧弱な翻訳に基づいている。ラフカディオ・ハーンの義侠的ペン、または『インド生活の組織(一)』の著者のそれが、われわれみずからの感情の松明をもって東洋の闇を明るくすることはまれである。
書き下し
不幸にして、西洋の態度は東洋を理解するに都合が悪い。キリスト教の宣教師は与えるために行き、受けようとはしない。諸君の知識は、もし通りすがりの旅人のあてにならない話に基づくのでなければ、わが文学の貧弱な翻訳に基づいている。ラフカディオ・ハーンの義侠的ペン、または『インド生活の組織』の著者のそれが、われわれみずからの感情の松明をもって東洋の闇を明るくすることはまれである。
現代語訳
不幸なことに、西洋の態度は東洋を理解するのに向いていません。キリスト教の宣教師は与えるために行き、受けようとはしない。皆さんの知識は、通りすがりの旅人のあてにならない話に基づいていなければ、私たちの文学の貧弱な翻訳に基づいています。ラフカディオ・ハーンの義侠的な筆や、『インド生活の組織』の著者の筆が、私たち自身の感情の松明をもって東洋の闇を明るくすることは、まれです。
解説
理解が進まない原因が、態度の一点に絞られます。与えるために行き、受けようとしない。教えに行く姿勢そのものが、相手を知る妨げになるという指摘です。この短い一文は宣教師に限らず、援助でも指導でも起こる普遍的な問題を突いています。そして天心は、内側の感情を松明にして書いた数少ない例としてハーンを挙げる。理解には、外から照らすのではなく内側から灯す書き手が要るという見立てです。
この章句が説くこと
理解態度宣教受容翻訳
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