格言聯璧 / 齊家類・天下に是ならざる底の父母無し
勤儉,治家之本。和順,齊家之本。 謹慎,保家之本。詩書,起家之本。 忠孝,傳家之本。 天下無不是底父母,世間最難得者兄弟。 以父母之心為心,天下無不友之兄弟。
新字:勤倹,治家之本。和順,斉家之本。 謹慎,保家之本。詩書,起家之本。 忠孝,伝家之本。 天下無不是底父母,世間最難得者兄弟。 以父母之心為心,天下無不友之兄弟。
書き下し
勤儉は、家を治むるの本なり。和順は、家を齊ふるの本なり。 謹慎は、家を保つの本なり。詩書は、家を起こすの本なり。 忠孝は、家を傳ふるの本なり。 天下に是ならざる底の父母無し、世間に最も得難き者は兄弟なり。 父母の心を以て心と爲せば、天下に友ならざるの兄弟無し。
現代語訳
勤勉と倹約は、家を治める根本です。和やかで素直なことは、家を整える根本です。 謹み深いことは、家を保つ根本です。詩書(学問)は、家を興す根本です。 忠と孝は、家を伝える根本です。 天下に間違っている父母はいません。世の中で最も得がたいものは兄弟です。 父母の心を自分の心とすれば、天下に仲の悪い兄弟はいません。
解説
斉家類、つまり家を整える部の冒頭です。初めに、勤倹・和順・謹慎・詩書・忠孝を、家を治め、整え、保ち、興し、伝える五つの本として並べます。家の営みを段階ごとに分け、それぞれの土台を示した、覚えやすい句です。続く句の「天下に是ならざる底の父母無し」は、宋代以来よく引かれる言葉で、子の側から父母を責めない心構えを言います。今の感覚では受け入れにくい所もありますが、親を裁く前に親の心を思えという趣旨でしょう。最後の句から次の単位にかけて、父母の心を心とすれば兄弟は仲良くなり、祖宗の心を心とすれば一族が、天地の心を心とすれば万物が親しくなると、心の範囲を広げていきます。家族のもめごとも、親の立場から見直すと違って見えるものです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
家訓勤倹孝悌和順斉家
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