格言聯璧 / 惠吉類・先哲の格言を纂述して廣く布く
潛居盡可以為善,何必顯宦!躬行孝弟,志在聖賢。 纂述先哲格言,刊刻廣布,行見化行一時,澤流後世,事業之不朽,蔑以加焉。貧賤盡可以積福,何必富貴!
新字:潜居尽可以為善,何必顕宦!躬行孝弟,志在聖賢。 纂述先哲格言,刊刻広布,行見化行一時,沢流後世,事業之不朽,蔑以加焉。貧賤尽可以積福,何必富貴!
書き下し
潛居も盡く以て善を為すべし、何ぞ必ずしも顯宦ならん。躬ら孝弟を行ひ、志聖賢に在り。 先哲の格言を纂述し、刊刻して廣く布けば、行くゆく化一時に行はれ、澤後世に流るるを見ん、事業の不朽なる、以て加ふる蔑し。貧賤も盡く以て福を積むべし、何ぞ必ずしも富貴ならん。
現代語訳
世に隠れて暮らしていても十分に善を行うことができます。どうして高い官職である必要があるでしょうか。自ら孝行と兄弟の和を実践し、志は聖賢にあります。 先哲の格言を集めて書き記し、版木に刻んで広く配れば、やがて教化がその時代に行き渡り、恵みが後の世に流れるのを見るでしょう。不朽の事業として、これ以上のものはありません。貧しく身分が低くても十分に福を積むことができます。どうして富貴である必要があるでしょうか。
解説
前の単位の「做好人底」を受けて、官位がなくても善は行えると説く一則です。潛居は世に出ずに暮らすこと、顯宦は高い官職のことです。二行目では、先哲の格言を集めて刊行し広めることこそ不朽の事業だと述べています。これは格言を集めたこの『格言聯璧』そのものの意図を語った言葉としても読めます。善書を刊行して無料で配ることは、清代に功徳として盛んに行われていました。末尾の「貧賤盡可以積福」は次の単位の「存平等心」に続く句です。役職や財産がなくても、良い言葉を伝え広めることで世に尽くせるという考えは、誰でも発信できる今の時代にこそ意味を持つでしょう。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
積善格言孝悌隠逸出版
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