都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段
梁ノ武帝ノ如クニ、終日一食蔬素、宗廟以麪爲犧牲、斷死刑必爲之涕泣、天下知其慈仁、然ルニ武帝之末、江南大ニ亂ル、佛ノ心ヲ悟ズシテ、法ニ泥ム時ハ害アリ、害アルコトヲ譬テイハヾ、飢者ニ金ヲ與ル如シ、天下第一ノ寶ト喜ドモ、此ヲ懷テ死スルニ同ジ、聖人ノ敎ハ、飢者ニ一飯ヲ與ル如シ、一飯ハ、金ノ喜ビニハ劣ル如クナレドモ、命ヲツナグヨリ勝ルコトアラジ、武帝ノ如ク、死罪ノ者ヲ見テ泣君アレバ、其慈仁ハ、金ヲ得シ如ク民喜ベドモ、政道不正シテ、江南ノ亂レハ、金ヲ懷キ飢テ死スルニ同ジ、是害アル所ナリ、聖人天下ヲ治メ玉フハ、敬ヲ主トシテ、孝弟忠信ヲ行ヒ玉ヒ、是ヲ敎トナシ玉ヘバ、只一飯ヲ與ヘ、命ヲ助ル如クナレドモ、
新字:梁ノ武帝ノ如クニ、終日一食蔬素、宗廟以麪為犠牲、断死刑必為之涕泣、天下知其慈仁、然ルニ武帝之末、江南大ニ乱ル、仏ノ心ヲ悟ズシテ、法ニ泥ム時ハ害アリ、害アルコトヲ譬テイハヾ、飢者ニ金ヲ与ル如シ、天下第一ノ宝ト喜ドモ、此ヲ懐テ死スルニ同ジ、聖人ノ教ハ、飢者ニ一飯ヲ与ル如シ、一飯ハ、金ノ喜ビニハ劣ル如クナレドモ、命ヲツナグヨリ勝ルコトアラジ、武帝ノ如ク、死罪ノ者ヲ見テ泣君アレバ、其慈仁ハ、金ヲ得シ如ク民喜ベドモ、政道不正シテ、江南ノ乱レハ、金ヲ懐キ飢テ死スルニ同ジ、是害アル所ナリ、聖人天下ヲ治メ玉フハ、敬ヲ主トシテ、孝弟忠信ヲ行ヒ玉ヒ、是ヲ教トナシ玉ヘバ、只一飯ヲ与ヘ、命ヲ助ル如クナレドモ、
書き下し
梁の武帝の如くに、終日一食蔬素、宗廟は麪を以て犠牲と為し、死刑を断ずれば必ず之が為に涕泣す、天下其の慈仁を知る。然るに武帝の末、江南大いに乱る。仏の心を悟らずして、法に泥む時は害あり。害あることを譬へていはば、飢ゑたる者に金を与ふる如し。天下第一の宝と喜べども、此を懐きて死するに同じ。聖人の教へは、飢ゑたる者に一飯を与ふる如し。一飯は、金の喜びには劣る如くなれども、命をつなぐより勝ることあらじ。武帝の如く、死罪の者を見て泣く君あれば、其の慈仁は、金を得し如く民喜べども、政道正しからずして、江南の乱れは、金を懐き飢ゑて死するに同じ。是れ害ある所なり。聖人天下を治め給ふは、敬を主として、孝弟忠信を行ひ給ひ、是を教へとなし給へば、只一飯を与へ、命を助くる如くなれども、
現代語訳
梁の武帝のように、一日一食で菜食を通し、宗廟の供え物にも生き物でなく小麦粉で作ったものを用い、死刑を裁くたびに涙を流したので、天下の人はその慈悲を知りました。ところが武帝の晩年、江南は大いに乱れました。仏の心を悟らずに教えの形にとらわれると害があるのです。たとえるなら、飢えた人に金を与えるようなものです。天下一の宝と喜んでも、それを抱いたまま死ぬのと同じです。聖人の教えは、飢えた人に一杯の飯を与えるようなものです。一杯の飯は金ほど喜ばれないようでも、命をつなぐことに勝るものはありません。武帝のように死罪の者を見て泣く君がいれば、その慈悲を民は金をもらったように喜びますが、政治が正しくないので江南は乱れ、金を抱いて飢え死にするのと同じ結果になりました。これが害のあるところです。聖人が天下を治めるときは、敬を主として孝悌忠信を行い、それを教えとされたので、ただ一杯の飯を与え命を助けるようでありながら、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段答ふ、仏法の表一通りを聞きて、悟ること能はずば、武帝に刑罰の者を訴ふるが如し。助くることを知りて、正すことを知らず、如何ぞ政行はれんや。曰く、左あれば忽ちに害あり。又悟道して行ふとも、仏法を用ひば、殺生はなるまじ。殺生はならずと云ひて、殺すべき咎ある者を助けなば、害あること明白なり。
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段天下の民、尽く孝弟を行ふゆゑに、及ぶ所広大にして、利益ある所なり。事を以て論ぜば、仏氏たる人、罪咎ある者なればとて、死罪に行ふべきや。罪咎ある者にても、弟子にせんと云ひて、上よりもらひ、助けたく思ふは出家なり。慈愛の心ばかりにて、聖人の法なくして政道を行はば、反つて事の乱れとならん。武帝の如き君あらば、異端と譏るも宜なる哉。曰く、手前には、儒道にて身を修むる志なれば、我が為に問ふにはあらず。然れども、上より下に至るまで、仏法を信仰のことなり。雑ふる時に害あることならば、上には用ひ給はざる筈なり。如何なることぞや。
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段一も捨てず一に泥まず、能く用ふるは名医なるべし。一方に泥み滞りて、時の変を知らざるは、名医とはいふべからず。天下国家を治むる道もかくの如し。古より有り来たる法を一として捨てず、一に泥まざるは、名医の諸薬を捨てずして、病を治するに同じ。天下国家を治むるに、儒道は善しといふとも、心闇くして泥むことあらば、必ず害あらん。是れ庸医の、人参を以て人を殺すが如し。金屑、眼に入る時は、忽ち翳となる。又仏法信仰するは、心を悟るためなり。仏法を以て得る心と、儒道を以て得たる心と、心に二品の替りあらんや。何の道にて心を得るとも、其の心を以て仁政を行ひ、天下国家を治め給ふに、何を以て害あらん。自ら悪を為し、刑罰にて死する者は、君の私を以て殺し給ふに非ず、何ぞ刑罰に心あらんや。書に曰く、自ら作せる災は活くべからず。聖人の政は天のごとし、無為にして治まる。刑鞭蒲朽ちて蛍空しく去り、諫鼓苔深くして鳥驚かずといへり。
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『都鄙問答』卷之四・或人主人行狀ノ是非ヲ問ノ段答ふ、扨て此に至りて、一入感心致す所なり。何を以てなれば、金銀は天下の御宝なり。銘々は世を互ひにし、救ひ助くる役人なりと知らるゝと見えたり。此の故に困窮に至りて多くの人を救ひ、又救はれし者どもより、忝なしと、染々礼をいふ者もなけれども、其の厭ひなきは、聖人といへども、此の上も有るまじきかと思へり。孟子の所謂、民の若きは、則ち恒産無ければ因りて恒心無しと。民の知なきは常なり。其の愚かなる処を知りて、其の者より、我が慈悲を知らざれども、其の厭ひなく、他の憂ひを救ひ、自らこれを任とす。能く貯へ能く施す今の親方は、学問を好まるゝとも聞かざりしが、仮令一字も学ばずといへども、此れぞ実の学者ならん。先づ人は、天地、物を生ずるの心を得て、心とするなれば、人物をはごくみ育ふを以て要とす。孟子の所謂、君子の性とする所は、大いに行はるると雖も加へず、窮居すと雖も損ぜず、分定まるが故なりと。是れを以て見れば、人は貴賤に限らず、尽く天の霊なり。貧窮の人といへども、一人飢うる時は、直に天の霊を絶つに同じ。此の故に、聖人は民を養ふを以て本とし玉ふ。此れを以て飢饉年には、御上より、飢うる者を救はせ玉ふ御事なれば、子の親方も、御法を能くも用ひ尽されたり。その志し、誰も斯くは有りたきものなり。
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段虫一疋も殺し給はず。又万草の中に於て、五穀は勝れたることを知り給ひ、麦は夏出来るものなれば、何時蒔きうゑたるが実登りがよき、稲はいつごろ種おろすが善き、それより大豆小豆小角豆はいつが善きと、時候を考へ給ひ、五穀を植ゑ藝うることを教へ給ふ。其の外に草木の多き中に、食うて能く人を養ふ者を知らせ給ふ。且つ土を見分け、それはそこ、此はここと、田畠の植うる所を知り、教へ給ふによりて、人たる者、飢餓ることを免るるほどのことを、知る世となりぬらん。此れ皆大己貴命、少彦名命、唐土にては伏義、神農、黄帝、御仁徳の功なり。天は万物を生じ、生ずるもの自ら育る。日本紀に云ふ、保食神、乃ち首を廻らして国に嚮ひしかば、則ち口より飯出づ。又海に嚮ひしかば、則ち鰭の広もの鰭の狭もの亦口より出づ。
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『都鄙問答』卷之二・禪僧俗家ノ殺生ヲ譏ノ段万物に、天の賦し与ふる理は同じといへども、形に貴賤あり。貴きが賤きを食ふは、天の道なり。又仏氏には、草木国土悉皆成仏といへば、万物皆仏なり。然れども形に貴賤あり。貴き人間仏が、賤き五穀仏、果仏より、水火仏までを喰ふて、世界は立ものなり。此理を知らば、聖人の物を用ひ玉ふは、貴きと賤きとは礼を以て分つ、貴き者の為に、賤き者を用ゆることを知るべし。証を以ていはゞ、君は貴く臣は賤し。賤き臣、貴き君にかはり死することを聞、貴き君の、賤き臣下の身に代り死たる者を未聞。此賤きが、貴きにかはるは、天地の道にして、全君の私にあらず。聖人物を用ゆるに、礼を以てし玉ふは、即此所なり。此故に、