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都鄙問答 / 卷之二・禪僧俗家ノ殺生ヲ譏ノ段

萬物ニ、天ノ賦シ與フル理ハ同ジトイヘドモ、形ニ貴賤アリ、貴キガ賤キヲ食フハ、天ノ道ナリ、又佛氏ニハ、草木國土悉皆成佛トイヘバ、萬物皆佛ナリ、然レドモ形ニ貴賤アリ、貴キ人間佛ガ、賤キ五穀佛、果佛ヨリ、水火佛マデヲ喰フテ、世界ハ立モノナリ、此理ヲ知ラバ、聖人ノ物ヲ用ヒ玉フハ、貴キト賤キトハ禮ヲ以テ分ツ、貴キ者ノ爲ニ、賤キ者ヲ用ユルコトヲ知ルベシ、證ヲ以テイハヾ、君ハ貴ク臣ハ賤シ、賤キ臣、貴キ君ニカハリ死スルコトヲ聞、貴キ君ノ、賤キ臣下ノ身ニ代リ死タル者ヲ未聞、此賤キガ、貴キニカハルハ、天地ノ道ニシテ、全君ノ私ニアラズ、聖人物ヲ用ユルニ、禮ヲ以テシ玉フハ、卽此所ナリ、此故ニ、

新字:万物ニ、天ノ賦シ与フル理ハ同ジトイヘドモ、形ニ貴賤アリ、貴キガ賤キヲ食フハ、天ノ道ナリ、又仏氏ニハ、草木国土悉皆成仏トイヘバ、万物皆仏ナリ、然レドモ形ニ貴賤アリ、貴キ人間仏ガ、賤キ五穀仏、果仏ヨリ、水火仏マデヲ喰フテ、世界ハ立モノナリ、此理ヲ知ラバ、聖人ノ物ヲ用ヒ玉フハ、貴キト賤キトハ礼ヲ以テ分ツ、貴キ者ノ為ニ、賤キ者ヲ用ユルコトヲ知ルベシ、証ヲ以テイハヾ、君ハ貴ク臣ハ賤シ、賤キ臣、貴キ君ニカハリ死スルコトヲ聞、貴キ君ノ、賤キ臣下ノ身ニ代リ死タル者ヲ未聞、此賤キガ、貴キニカハルハ、天地ノ道ニシテ、全君ノ私ニアラズ、聖人物ヲ用ユルニ、礼ヲ以テシ玉フハ、即此所ナリ、此故ニ、

書き下し

万物に、天の賦し与ふる理は同じといへども、形に貴賤あり。貴きが賤きを食ふは、天の道なり。又仏氏には、草木国土悉皆成仏といへば、万物皆仏なり。然れども形に貴賤あり。貴き人間仏が、賤き五穀仏、果仏より、水火仏までを喰ふて、世界は立ものなり。此理を知らば、聖人の物を用ひ玉ふは、貴きと賤きとは礼を以て分つ、貴き者の為に、賤き者を用ゆることを知るべし。証を以ていはゞ、君は貴く臣は賤し。賤き臣、貴き君にかはり死することを聞、貴き君の、賤き臣下の身に代り死たる者を未聞。此賤きが、貴きにかはるは、天地の道にして、全君の私にあらず。聖人物を用ゆるに、礼を以てし玉ふは、即此所なり。此故に、

現代語訳

「万物に天が与えた理は同じですが、形には貴賤があります。貴いものが賤しいものを食べるのは天の道です。また仏教では草木国土悉皆成仏と言うので、万物はみな仏です。けれども形に貴賤があり、貴い人間仏が、賤しい五穀仏や果物仏から水や火の仏までを食べて、世界は成り立っているのです。この理を知れば、聖人が物を用いられるのは、貴いものと賤しいものを礼によって分け、貴いもののために賤しいものを用いるのだと分かるでしょう。証拠を挙げれば、君は貴く臣は賤しい。賤しい臣が貴い君に代わって死ぬことは聞きますが、貴い君が賤しい臣下の身代わりに死んだという話は聞いたことがありません。この賤しいものが貴いものに代わるのは天地の道であって、君の私心ではありません。聖人が物を用いるのに礼をもってされるのは、まさにここです。そのため、」

解説

理は同じでも形に貴賤がある、という「理一分殊」の考え方(朱子学の基本概念)を、命を食べることに当てはめた一節です。人間仏が五穀仏を食べて世界が立つ、というユーモラスな表現で、万物皆仏の思想と食べることを両立させます。後半の君臣の例は、身分秩序を当然とする江戸時代の価値観そのもので、現代の感覚では受け入れにくい部分です。ただし梅岩の主眼は、用いる側が礼をもって慎むことにあり、貴い側の身勝手を認めているわけではない点に注意が要ります。

この章句が説くこと

理一分殊貴賤成仏天道

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