都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段
曰、天人ハ一トハ聞ドモ、我モ天地ト一致ナルコト、落著シガタシ、汝ハ此理ヲ知レリヤ、曾テ不得心ノコトハイハレマジキガ、如何ナルコトゾヤ、答、書經大誓ニ曰、天視自我民視、天聽自我民聽トアリ、天ノ心ハ人ナリ、人ノ心ハ天ナリ、此故ニ、古今ニ通テ一ナリ、汝今物語ノ相手ハ誰ゾヤ、
新字:曰、天人ハ一トハ聞ドモ、我モ天地ト一致ナルコト、落著シガタシ、汝ハ此理ヲ知レリヤ、曽テ不得心ノコトハイハレマジキガ、如何ナルコトゾヤ、答、書経大誓ニ曰、天視自我民視、天聴自我民聴トアリ、天ノ心ハ人ナリ、人ノ心ハ天ナリ、此故ニ、古今ニ通テ一ナリ、汝今物語ノ相手ハ誰ゾヤ、
書き下し
曰く、天人は一とは聞ども、我も天地と一致なること、落著しがたし。汝は此理を知れりや。曽て得心せざることはいはれまじきが、如何なることぞや。答、書経大誓に曰く、天の視るは我が民の視るに自り、天の聴くは我が民の聴くに自るとあり。天の心は人なり、人の心は天なり。此故に、古今に通て一なり。汝今物語の相手は誰ぞや。
現代語訳
問う人「天と人とは一つだとは聞きますが、自分も天地と一つだということは腑に落ちません。あなたはこの理を知っているのですか。まさか納得していないことを言ってはおられないでしょうが、どういうことですか。」答え。「『書経』泰誓に『天が見るのは民が見るのによって見、天が聞くのは民が聞くのによって聞く』とあります。天の心は人であり、人の心は天です。だから昔も今も一つなのです。いま、あなたが話している相手は誰ですか。」
解説
『書経』泰誓篇の「天の視るは我が民の視るに自り、天の聴くは我が民の聴くに自る」は、孟子も万章上篇で引いた言葉で、天の意思は民の目と耳を通して現れるという意味です。梅岩はこれを、天と人とは別物ではないという根拠に使います。そしていきなり「いま話している相手は誰か」と問い、抽象論を目の前の対話の場に引き戻します。お客様の声を天の声として聞くという商人の姿勢にも、この天と人とを一つに見る考え方は通じています。
この章句が説くこと
天人書経民対話一致
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