都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段
スベテ人ノ身ニ從テ出ルモノナリ、是モ蚤ノ親ガ、人ヲ食フテ渡世ヲセヨト敎ンヤ、人ノ手ノユク時ハ、心得テ早ク飛ベシ、トバズバ、命ヲトラルヽト敎ンヤ、飛ニグルハ、此不習シテ、皆形ニヨツテ爲所ナリ、孟子曰、形色天性也、惟聖人然後可以踐形、形ヲ踐トハ、五倫ノ道ヲ明カニ行ヲ云、形ヲ踐デ行フコト不能小人ナリ、畜類鳥類ハ私心ナシ、反テ形ヲ踐、皆自然ノ理ナリ、聖人ハ是ヲ知リ玉フ、日本紀ニ云、夫大己貴命與少彥名命、戮力一心經營天下、復爲顯見蒼生及畜產、則定其療病之方、又爲攘鳥獸昆蟲之灾異、則定其禁厭之法、是以百姓至今、咸蒙恩賴ト見エタリ、何國ニモ道ハ同フシテ、唐土ニモ伏義能犧牲ヲ馴伏スト史記ニ見ヘタリ、第一ニ、
新字:スベテ人ノ身ニ従テ出ルモノナリ、是モ蚤ノ親ガ、人ヲ食フテ渡世ヲセヨト教ンヤ、人ノ手ノユク時ハ、心得テ早ク飛ベシ、トバズバ、命ヲトラルヽト教ンヤ、飛ニグルハ、此不習シテ、皆形ニヨツテ為所ナリ、孟子曰、形色天性也、惟聖人然後可以践形、形ヲ践トハ、五倫ノ道ヲ明カニ行ヲ云、形ヲ践デ行フコト不能小人ナリ、畜類鳥類ハ私心ナシ、反テ形ヲ践、皆自然ノ理ナリ、聖人ハ是ヲ知リ玉フ、日本紀ニ云、夫大己貴命与少彦名命、戮力一心経営天下、復為顕見蒼生及畜産、則定其療病之方、又為攘鳥獣昆虫之災異、則定其禁厭之法、是以百姓至今、咸蒙恩頼ト見エタリ、何国ニモ道ハ同フシテ、唐土ニモ伏義能犠牲ヲ馴伏スト史記ニ見ヘタリ、第一ニ、
書き下し
すべて人の身に従ひて出づるものなり。是も蚤の親が、人を食うて渡世をせよと教へんや。人の手のゆく時は、心得て早く飛ぶべし、飛ばずば、命をとらるると教へんや。飛び逃ぐるは、此れ習はずして、皆形によつて為す所なり。孟子曰く、形色は天性なり。惟だ聖人にして然る後以て形を践むべし。形を践むとは、五倫の道を明らかに行ふを云ふ。形を践んで行ふこと能はざるは小人なり。畜類鳥類は私心なし、反つて形を践む、皆自然の理なり。聖人は是を知り給ふ。日本紀に云ふ、夫れ大己貴命と少彦名命と、力を戮せ心を一にして天下を経営す。復た顕見蒼生及び畜産の為に、則ち其の療病の方を定む。又鳥獣昆虫の災異を攘はんが為に、則ち其の禁厭の法を定む。是を以て百姓今に至るまで、咸く恩頼を蒙ると見えたり。何国にも道は同じうして、唐土にも伏義能く犠牲を馴伏すと史記に見えたり。第一に、
現代語訳
みな人の身について出てきます。これも蚤の親が、人を食って暮らせと教えたのでしょうか。人の手が来たら心得て早く飛べ、飛ばなければ命を取られると教えたのでしょうか。飛んで逃げるのは習ったからではなく、みな形によってすることです。孟子は「形と色は天性である。ただ聖人であって初めて形を践むことができる」と言いました。形を践むとは、五倫の道をはっきり行うことです。形を践んで行えないのが小人です。鳥や獣には私心がないので、かえって形を践み、みな自然の理にかなっています。聖人はこれを知っておられました。日本書紀には「大己貴命と少彦名命が力と心を合わせて天下を経営し、人と家畜のために病を治す方法を定め、鳥獣や虫の災いを払うためにまじないの法を定めた。それで人々は今に至るまでその恵みを受けている」とあります。どの国でも道は同じで、中国でも伏羲がよく犠牲の家畜を馴らしたと史記に見えます。まず、
解説

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『都鄙問答』卷之一・都鄙問答ノ段聖人は人倫の至りなり。是の如く君子大徳の行跡を見、此を法として、五倫の道を教へ、天の命ぜる職分を知らせ、力め行ふときは、身脩まりて家斉ひ、国治まりて天下平らかなり。孟子曰く、先王の法に遵ひて過つ者は未だ之有らず、と。又曰く、天下の性を言ふや、故のみ、故は利を以て本と為す、と。其の性と云ふは、人より禽獣草木まで、天に受け得て以て生ずる理なり。松は緑に、桜は花、羽ある物は空を飛び、鱗ある物は水を泳ぎ、日月の天に懸かるも皆一理なり。去年の四季の行はるるを見て、今年を知り、昨日の事を見て、今日を知る。これ即ち所謂故を見て、天下の性を知ると云ふ所なり。性を知る時は、五常五倫の道は、其の中に備はれり。中庸に、所謂天の命ずる之を性と謂ひ、性に率ふ之を道と謂ふ。性を知らずして、性に率ふことは得らるべきにあらず。性を知るは、学問の綱領なり。我怪しきことを語るにあらず。堯舜万世の法となり玉ふも、是れ性に率ふのみ。故に心を知るを学問の初めと云ふ。然るを心性の沙汰を除き、外に至極の学問有ることを知らず。万事は皆心よりなす。心は身の主なり。主なき身とならば、山野に捨つる死人に同じ。其の主を知らする教へなるを、異端と云ふは如何なることぞや。
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『都鄙問答』卷之三・性理問答ノ段向かふ物を移し曲げざるは、明鏡止水の如し。人たる者、元来心は替らざれども、七情に蔽昧されて、聖人の知を、外に替りたることあるやうに思ふより、味くなつて、種々に疑ひ発るなり。元来形ある者は、形を直に心とも知るべし。譬へば夜寝入りたるとき、寝掻きし、おぼえず形を相く。是れ形直に心なる所なり。又子々水中に有りては、人を螫さず、蚊と変じて忽ちに人を螫す。これ形に由るの心なり。鳥類畜類の上にも、心をつけて見よ。蛙は自然に蛇を恐る。親蛙が子蛙に、蛇は汝をとり食ふ畏しきものぞと教へ、蛙子も学び習ひて、段々に伝へ来たりし者ならんや。蛙の形に生るれば、蛇を恐るるは、形が直に心なる所なり。其の外近く見んと思はば、蚤は夏に至れば、
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『講孟余話』盡心上 第三十八章「惟だ聖人にして然る後に以て形を践むべし」。形を践むとは此の篇首章の尽心の義と相似たり。心を尽くすは心の一杯を尽くすなり。形を践むは形の持前を使ふことなり。形は耳目口鼻四体皆形なり。耳は善悪を聞き分くるが持前なり。目は善悪を視分くるが持前なり。口鼻四体皆各々持前あり。此の持前を使はざるは凡夫の常なり。若し皆是れを使はば、即ち聖人なり。而して践形は尽心と其の実は両般の事に非ず。抑々造化の妙、是等の所に於て是れを観れば、実に驚くに余りあり。「万物皆我に備はる」の義も、良知良能も、性善も、皆是れにて知るべし。人々其の持前を使へば即ち聖人にて、別に口伝も秘訣もなきとは、妙なるかな妙なるかな。余又常に謂ふ、神州の形は如何なる持前ぞや。当今の如く外夷の凌辱となる、是れ其の持前か。又神功・秀吉の時の如く、海外を懾服せしむるが持前か。今八尺の力士ありて一人の力能く数十人を制するに足る。其の倦臥の際、病困の日、一孱夫と云へども是れを苦しめて余りあり。力士の持前、前にあらんか、後にあらんか。