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都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段

曰、聖人ハ生ナガラニシテ知リ玉フ、汝等如キノ、窺ヒ可知所ニアラズ、然ルニ心易ク、聖知ノ私知ノト判斷セルハ、如何ナルコトゾヤ、答、汝モ黑白ハ心易分ルベシ、聖知ト私知トヲ分ルモ如是、禹ノ水ヲ治メ玉フ時ニ、彼ハ高シ此ハ下シト、知リ玉フバカリノコトニテ、替リタルコト有ニ非ズ、私知トハ、品々ノ了簡ヲ加ルユヘニ、自然ノ知ニアラズ、此聖知ニ異リ、聖知ヲ近ク知ラント思ハヾ、程子曰、今人羈勒以御馬、而不以制牛、人皆知羈勒之作在乎人、而不知羈勒之生由於馬、聖人之化モ亦猶是、聖人馬ヲ見テ、後ニ羈ヲ作テ、馬ニハマセテ使ヒ玉フ、此母ノ胎內ヨリ、知テ生レ玉フニハ非ズ、向ヒ視物ヲ、則心ト爲玉フ、是聖知ノ勝レタル所ナリ、

新字:曰、聖人ハ生ナガラニシテ知リ玉フ、汝等如キノ、窺ヒ可知所ニアラズ、然ルニ心易ク、聖知ノ私知ノト判断セルハ、如何ナルコトゾヤ、答、汝モ黒白ハ心易分ルベシ、聖知ト私知トヲ分ルモ如是、禹ノ水ヲ治メ玉フ時ニ、彼ハ高シ此ハ下シト、知リ玉フバカリノコトニテ、替リタルコト有ニ非ズ、私知トハ、品々ノ了簡ヲ加ルユヘニ、自然ノ知ニアラズ、此聖知ニ異リ、聖知ヲ近ク知ラント思ハヾ、程子曰、今人羈勒以御馬、而不以制牛、人皆知羈勒之作在乎人、而不知羈勒之生由於馬、聖人之化モ亦猶是、聖人馬ヲ見テ、後ニ羈ヲ作テ、馬ニハマセテ使ヒ玉フ、此母ノ胎内ヨリ、知テ生レ玉フニハ非ズ、向ヒ視物ヲ、則心ト為玉フ、是聖知ノ勝レタル所ナリ、

書き下し

曰く、聖人は生まれながらにして知り給ふ。汝等如きの窺ひ知るべき所にあらず。然るに心易く、聖知の私知のと判断せるは、如何なることぞや。答ふ、汝も黒白は心易く分かるべし。聖知と私知とを分かつも是くの如し。禹の水を治め給ふ時に、彼は高し此は下しと、知り給ふばかりのことにて、替りたること有るに非ず。私知とは、品々の了簡を加ふるゆゑに、自然の知にあらず。此れ聖知に異なり。聖知を近く知らんと思はば、程子曰く、今の人羈勒を以て馬を御して、以て牛を制せず。人皆羈勒の作るは人に在るを知りて、羈勒の生ずるは馬に由るを知らず。聖人の化も亦猶ほ是のごとし。聖人馬を見て、後に羈を作りて、馬にはませて使ひ給ふ。此れ母の胎内より、知りて生まれ給ふには非ず。向かひ視る物を、則ち心と為し給ふ。是れ聖知の勝れたる所なり。

現代語訳

問う人が言います。聖人は生まれながらに知っておられる方で、あなたのような者がうかがい知れるものではありません。それなのに気安く、聖人の知だの私の知だのと判断するのはどういうことですか。梅岩は答えます。あなたも白と黒ならたやすく見分けられるでしょう。聖人の知と私の知を分けるのも同じことです。禹が洪水を治めたときも、あちらは高い、こちらは低いと知っていただけで、特別なことがあったわけではありません。私の知とは、あれこれ思案を加えるので自然の知ではない。そこが聖人の知と違います。聖人の知を身近に知りたければ、程子の言葉があります。「今の人は手綱と轡で馬を御するが、牛には使わない。人は轡を作ったのが人だとは知っているが、轡が生まれたのは馬の性質によることを知らない。聖人の教化もこれと同じだ」。聖人は馬を見てから轡を作り、馬にはめて使われたのです。母の胎内から知って生まれたのではありません。向き合って見た物を、そのまま自分の心とされた。これが聖人の知の優れたところです。

解説

聖人の知を神秘化する相手に、梅岩は「白黒を見分けるのと同じだ」と身近なところへ引き下ろします。禹の治水は、孟子離婁下篇が「禹の水を行るや、其の事無き所を行る」と評したように、水の性質に逆らわなかった点に知の本質があります。程子(北宋の程顥・程頤兄弟)の轡の話も同じで、道具の形を決めたのは人の工夫ではなく馬の性質だというのです。現場を見て仕組みを作る、という発想は現代の業務改善にも通じます。思い込みの了簡を足さず、目の前の対象に合わせて作るのが聖知だという整理です。

この章句が説くこと

聖知私知程子自然

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