都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段
曰、性理ハ第一ノ事トハ思ヘリ、然レドモ、兔角聞得ルコトカタシ、雲泥ノ違アル告子ガ非ヲ得心セバ、孟子ヲ是トシラルベキヤ、答、孟子ノ性善ヲ得レバ、白晝ニ黑白ヲ分ル如シ、他ノ非ハ、聞ズシテ明ニ分ルナリ、何ゾ非ヲ知ルコトアラン、性善ヲ知レバ、定木ヲ以テ曲直ヲ正スガ如シ、孟子ノ性善トノ玉フハ、心ヲ盡シテ性ヲ知リ、性ヲ知ル時ハ天ヲ知ル、天ヲ知ルヲ學問ノ初メトス、天ヲ知レバ、事理自明白ナリ、此ヲ以テ私ナク公ニシテ、日月ノ普照シ玉フガゴトシ、告子ガイヘル所ハ、生レナガラノ性ヲ見失ヒ、私知ヲ用ユレバ、白晝ニ日輪ノ光ヲカラズシテ、戶ヲ閉テ燈火ヲ用ユルガ如シ、照ス所如斯違アルナリ、因テ雲泥ノ違ト云、
新字:曰、性理ハ第一ノ事トハ思ヘリ、然レドモ、兔角聞得ルコトカタシ、雲泥ノ違アル告子ガ非ヲ得心セバ、孟子ヲ是トシラルベキヤ、答、孟子ノ性善ヲ得レバ、白昼ニ黒白ヲ分ル如シ、他ノ非ハ、聞ズシテ明ニ分ルナリ、何ゾ非ヲ知ルコトアラン、性善ヲ知レバ、定木ヲ以テ曲直ヲ正スガ如シ、孟子ノ性善トノ玉フハ、心ヲ尽シテ性ヲ知リ、性ヲ知ル時ハ天ヲ知ル、天ヲ知ルヲ学問ノ初メトス、天ヲ知レバ、事理自明白ナリ、此ヲ以テ私ナク公ニシテ、日月ノ普照シ玉フガゴトシ、告子ガイヘル所ハ、生レナガラノ性ヲ見失ヒ、私知ヲ用ユレバ、白昼ニ日輪ノ光ヲカラズシテ、戸ヲ閉テ灯火ヲ用ユルガ如シ、照ス所如斯違アルナリ、因テ雲泥ノ違ト云、
書き下し
曰く、性理は第一の事とは思へり。然れども、兔角聞得ることかたし。雲泥の違ある告子が非を得心せば、孟子を是としらるべきや。答、孟子の性善を得れば、白昼に黒白を分る如し。他の非は、聞ずして明に分るなり。何ぞ非を知ることあらん。性善を知れば、定木を以て曲直を正すが如し。孟子の性善との玉ふは、心を尽して性を知り、性を知る時は天を知る。天を知るを学問の初めとす。天を知れば、事理自明白なり。此を以て私なく公にして、日月の普照し玉ふがごとし。告子がいへる所は、生れながらの性を見失ひ、私知を用ゆれば、白昼に日輪の光をからずして、戸を閉て灯火を用ゆるが如し。照す所如斯違あるなり。因て雲泥の違と云。
現代語訳
問う人「性理がいちばん大事なことだとは思います。けれども、とにかく聞いて会得するのは難しい。雲泥の違いがあるという告子の誤りを納得すれば、孟子を正しいと知ることができるでしょうか。」答え。「孟子の性善を会得すれば、真昼に黒と白を見分けるようなものです。ほかの説の誤りは、聞かなくてもはっきり分かります。わざわざ誤りを知ろうとすることがありましょうか。性善を知れば、定規で曲がったものとまっすぐなものを正すようなものです。孟子が性善とおっしゃるのは、心を尽くして性を知り、性を知れば天を知る、ということです。天を知ることを学問の始めとします。天を知れば、事の理はおのずから明白です。そうして私心なく公であって、日や月があまねく照らされるようになります。告子の言うところは、生まれながらの性を見失って私知を用いるので、真昼に太陽の光を借りずに戸を閉めて灯火を使うようなものです。照らすところがこのように違います。だから雲泥の違いと言うのです。」
解説

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