都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段
答、汝モ益アルト思ヘバコソ、苦ンデ學ブニアラズヤ、不學バ鄕人トナル、鄕人トナル恥ヲ嫌フユヘニ學ブナリ、學問第一ノ所ハ、聖賢ニ至ルコトナリ、性善ヲ知ルハ、聖賢ニ至ルノ門ナリ、門戶無バ、如何ゾ聖人ノ道ニ入ベキ、孟子曰、堯舜之道孝弟而已、苦ンデナリトモ、是ヲ能スルヲ益トス、孝弟ヲ舍レバ禽獸トナル、心禽獸ニ陷テ、不孝不弟ヲナシ、親子兄弟心ヲ阻ル程、世ニ悲キコトアランヤ、此故ニ、孝經ニ、子曰自天子已下至于庶人、孝無終始而患不及者未之有也ト、因テ五刑之屬三千、罪莫大於不孝トノ玉フ、加樣ニ罪人トナリ、人倫ヲ破レドモ恐ルヽコトナク、孝弟ハ行ヒ損ト思ヒ、死スレバ君子小人トモニ、天地ヘ散々テ、一列ナリト思ハレ候ヤ、
新字:答、汝モ益アルト思ヘバコソ、苦ンデ学ブニアラズヤ、不学バ郷人トナル、郷人トナル恥ヲ嫌フユヘニ学ブナリ、学問第一ノ所ハ、聖賢ニ至ルコトナリ、性善ヲ知ルハ、聖賢ニ至ルノ門ナリ、門戸無バ、如何ゾ聖人ノ道ニ入ベキ、孟子曰、堯舜之道孝弟而已、苦ンデナリトモ、是ヲ能スルヲ益トス、孝弟ヲ舎レバ禽獣トナル、心禽獣ニ陥テ、不孝不弟ヲナシ、親子兄弟心ヲ阻ル程、世ニ悲キコトアランヤ、此故ニ、孝経ニ、子曰自天子已下至于庶人、孝無終始而患不及者未之有也ト、因テ五刑之属三千、罪莫大於不孝トノ玉フ、加様ニ罪人トナリ、人倫ヲ破レドモ恐ルヽコトナク、孝弟ハ行ヒ損ト思ヒ、死スレバ君子小人トモニ、天地ヘ散々テ、一列ナリト思ハレ候ヤ、
書き下し
答、汝も益あると思へばこそ、苦んで学ぶにあらずや。学ばざれば郷人となる。郷人となる恥を嫌ふゆへに学ぶなり。学問第一の所は、聖賢に至ることなり。性善を知るは、聖賢に至るの門なり。門戸無ば、如何ぞ聖人の道に入べき。孟子曰く、堯舜の道は孝弟のみと。苦んでなりとも、是を能するを益とす。孝弟を舎れば禽獣となる。心禽獣に陥て、不孝不弟をなし、親子兄弟心を阻る程、世に悲きことあらんや。此故に、孝経に、子曰く、天子より已下庶人に至るまで、孝に終始無くして患ひの及ばざる者は、未だ之れ有らざるなりと。因て五刑の属三千、罪は不孝より大なるは莫しとの玉ふ。加様に罪人となり、人倫を破れども恐るゝことなく、孝弟は行ひ損と思ひ、死すれば君子小人ともに、天地へ散々て、一列なりと思はれ候や。
現代語訳
答え。「あなたも益があると思うからこそ、苦しんで学ぶのではありませんか。学ばなければ、志のない凡人で終わります。そうなる恥を嫌うから学ぶのです。学問のいちばん大切なところは、聖人・賢人に至ることです。性善を知ることは、聖賢に至る門です。門がなければ、どうして聖人の道に入れましょう。孟子は『堯舜の道は孝と悌だけだ』とおっしゃいました。苦しんででも、これをよく行うことを益とします。孝悌を捨てれば禽獣になります。心が禽獣に落ちて、親に不孝、兄に不悌をはたらき、親子兄弟の心が隔たるほど、世に悲しいことがありましょうか。だから『孝経』に、孔子が『天子から庶民に至るまで、孝を始めから終わりまで尽くさずに、災いが及ばなかった者はいまだない』とおっしゃり、さらに『五刑に当たる罪は三千あるが、不孝より大きな罪はない』とおっしゃいました。このように罪人となり、人の道を破っても恐れることなく、孝悌は行うだけ損だと思い、死ねば君子も小人も同じように天地に散り散りになって同じことだと思われるのですか。」
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『益軒家訓』幼児須教一学問の大綱は、大学の経の文、朱子の学規を以て法則とす。必天地聖人の道に背きて、仏氏の教に従ふべからず。若仏氏に従ふ者あらば、父祖の遺訓に背き、不孝の罪に陥るのみならず、天地神明の道に背く。故に天地神明の罪人なるべし。天道は至公にして、其咎なしといへども、恐るべき事なり。但不仁は天の責を身にうけ、子孫に報ふ事影響の如し、畏るべき事の甚しきなり。
-
言志四録・言志晩録 第二十五条 学の次第と本体学に次第有るは、猶ほ弓を執り箭を挟み、引満して発するがごとし。直ちに本体を指すは、猶ほ懸くるに正鵠を以てし、必中を期するがごとし。
-
『講孟余話』附尾 讀保建大記一條跋。講孟劄記成る。因りて復た瀏覧すること一周、遂に名を講孟余話と改む。蓋し劄は鍼刺なり。凡そ其の記す所、精義を発し、文藻を摛ぶること、鍼の膚を刺して鮮血迸り出づるが如く、鍼の衣を刺して彩線絺繍するが如くにして、而る後以て称名と為すに足るのみ。而して余の此の著、豈に其れ然らんや。余の獄に在るや、囚徒胥ひ居り、其の已に家に帰るや、親戚盍簪す。時に乃ち孟子を把りて之れを講ず。其の訓詁を精しくするに非ず、其の文字を喜ぶに非ず、唯だ其の一憂一楽、一喜一怒、尽く諸を孟子に寓するのみ。故に其の喜楽に当りてや、孟子を講じて、復た益々喜楽し、其の憂怒に当りてや、孟子を講じて、復た益々憂怒す。憂怒の抑ふべからず、喜楽の歇むべからず、話に随ひ話に随ひ、稍積みて巻を成す者、即ち此の著なり。然らば則ち是れ特に講孟の余話のみ、何ぞ劄記と為すことを得んや。余已に囚徒親戚と、其の憂楽を同じくし、其の喜怒を共にす、亦已に足れり。而るに又之れを録して巻を成し以て世に問ふ、太だ贅ならずや。且つ此れを持して経学先生に問はんか、経学先生将に其の雑駁麁豪を罵らんとす。此れを持して文章博士に問はんか、文章博士将に其の鄙俚蕪陋を笑はんとす。然らば則ち当今の世、孰れか問ひ孰れか答へんや。噫、是れ吾が余話の録に已む能はざる所以なり。夫れ天下経学文章を以て教へと為す、蓋し亦久しいかな。経学益々明らかに、文章益々美にして、国威日に細く、外夷日に熾んなり。斯の道の道たる所以の者は、果して何くにか在る。則ち天下吾と憂楽を同じくし喜怒を共にする者、亦何ぞ独り一二の囚徒親戚のみならんや。而るに余屏居して世を謝す、世其の人有りと雖も、相従ひて晤言するに由なし。則ち余話の録、吾益々已む能はざるなり。噫、天下の士、其れ何を以て之れを教へん。安政三年、歳丙辰に次る、季夏の日、二十一回猛士藤寅、諸を松陰の囚室に書す。此の編、業を去年六月十三日に起し、今年六月十三日に卒る。中間或は作り或は輟め、居処已に変じ、会する者又異なり、而して正に期月に当りて、方に乃ち編を成す、亦奇ならずや。寅重ねて書す。
-
うひ山ぶみ・本文上ノ件ところどころ、圏の内に、かたかなをもてしるししたるは、いはゆる相じるしにて、その件リ々にいへることの、然る子細を、又奥に別にくはしく論ひさとしたるを、そこはこゝと、たづねとめて、しらしめん料のしるし也、世に物まなびのすぢしなじな有て云々、物学とは、皇朝の学問をいふ、そもそもむかしより、たゞ学問とのみいへば、漢学のことなる故に、その学と分むために、皇国の事の学をば、和学或は国学などいふならひなれども、そはいたくわろきいひざま也、みづからの国のことなれば、皇国の学をこそ、たゞ学問とはいひて、漢学をこそ、分て漢学といふべきことなれ、それももし漢学のこととまじへいひて、まぎるゝところにては、皇朝学などはいひもすべきを、うちまかせてつねに、和学国学などいふは、皇国を外にしたるいひやう也、もろこし朝鮮於蘭陀などの異国よりこそ、さやうにもいふべきことなれ、みづから吾国のことを、然いふべきよしなし、すべてもろこしは、外の国にて、かの国の事は、何事もみな外の国の事なれば、
-
『学則』答屈景山書不佞其の是くの若きを懲り、凡そ師友の素有るに非ずして来たりて相問難する者に値ふ毎に、一切対を置かず。是れ不佞の常なり。不佞往歳蘐園随筆を作る。其の時、識見未だ定まらず、争心未だ消えず。然れども随筆の作は、自ら書して以て自ら翫び、聊か以て間を消すのみにして、初めより以て人に示すに非ざるなり。独り奈んせん、誤りて剞劂の手に堕ち、遂に諸を海内に公にす。海内の諸君子、因りて不佞を弁を好む者と謂ふ。不佞の心に非ざるなり。今来喩を観るに、亦た対を置かざるの例に在り。然りと雖も、足下既に争心無きを以て告げられ、而して君家の先生は乃ち不佞が髫年の時より私心に郷往する所なれば、則ち何ぞ必ずしも恝然たらんや。亦た唯人心の面の如き、不佞豈に能く諸を足下に喩さんや。但だ不佞の李王を取る所以の故を言ひて以て来意に酬いん。其の取舍の如きは、乃ち足下に在り。唯足下之を択べ。
-
『酔古堂剣掃』集法・貨財を積むの心を以て學問を積む貨財を積むの心を以て學問を積み、功名を求むるの念を以て道德を求め、子女を愛するの心を以て父母を愛し、爵位を保つの策を以て國家を保つ。