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都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段

心ヲ盡シテ知ルニアラズヤ、且告子ガ湍水ノタトヘニテ、明カニ可知、告子ガ思ヤウハ、心ハ種々ノ思ヒヲ生ズレドモ、何ヲト云テ可取ヤウナケレバ、性ハ、水ノ流テ、淵ニグルグル洄ゴトキ者ト思ヘリ、夫天ハ、忽寒暑雲霧風雨ヲ生ジ、平旦淸明ノ氣ヨリ、仁義禮智ノ良心ヲ生ズルコトヲ不知、色々品々ニ、穿鑿シ思慮スルユヘニ、只紙一重ホドノ違モ、天地懸隔ト、ハルカナルヘダタリトナル、譬バ犬ノ己ガ尾ヲ食ントスレバ、身ノ回ニ隨テ尾モ巡ルユヘ、喰ヒツクコト不能、告子モ色々思慮スルユヘニ、性善ニ及ブコト不能、惜哉哀哉、孟子ハ知ヲ不用、義ヲ行ヒ玉フニ因テ、平旦淸明ノ氣ヲ養フコトヲ得玉フ、然レドモ獨得ル所ニシテ、形容シガタキヲ以テ、

新字:心ヲ尽シテ知ルニアラズヤ、且告子ガ湍水ノタトヘニテ、明カニ可知、告子ガ思ヤウハ、心ハ種々ノ思ヒヲ生ズレドモ、何ヲト云テ可取ヤウナケレバ、性ハ、水ノ流テ、淵ニグルグル洄ゴトキ者ト思ヘリ、夫天ハ、忽寒暑雲霧風雨ヲ生ジ、平旦清明ノ気ヨリ、仁義礼智ノ良心ヲ生ズルコトヲ不知、色々品々ニ、穿鑿シ思慮スルユヘニ、只紙一重ホドノ違モ、天地懸隔ト、ハルカナルヘダタリトナル、譬バ犬ノ己ガ尾ヲ食ントスレバ、身ノ回ニ随テ尾モ巡ルユヘ、喰ヒツクコト不能、告子モ色々思慮スルユヘニ、性善ニ及ブコト不能、惜哉哀哉、孟子ハ知ヲ不用、義ヲ行ヒ玉フニ因テ、平旦清明ノ気ヲ養フコトヲ得玉フ、然レドモ独得ル所ニシテ、形容シガタキヲ以テ、

書き下し

心を尽して知るにあらずや。且告子が湍水のたとへにて、明かに知るべし。告子が思やうは、心は種々の思ひを生ずれども、何をと云て取るべきやうなければ、性は、水の流て、淵にぐるぐる洄ごとき者と思へり。夫天は、忽寒暑雲霧風雨を生じ、平旦清明の気より、仁義礼智の良心を生ずることを知らず、色々品々に、穿鑿し思慮するゆへに、只紙一重ほどの違も、天地懸隔と、はるかなるへだたりとなる。譬ば犬の己が尾を食んとすれば、身の回に随て尾も巡るゆへ、喰ひつくこと能はず。告子も色々思慮するゆへに、性善に及ぶこと能はず。惜しい哉哀しい哉。孟子は知を用ひず、義を行ひ玉ふに因て、平旦清明の気を養ふことを得玉ふ。然れども独得る所にして、形容しがたきを以て、

現代語訳

心を尽くして知るではありませんか。また告子の渦巻く水のたとえで、はっきり分かります。告子の考えでは、心はいろいろな思いを生むけれども、どれと言って取り出せるものがないので、性は水が流れて淵でぐるぐる渦巻くようなものだと思ったのです。そもそも天はたちまち寒暑・雲霧・風雨を生じ、夜明けの清らかな気から仁義礼智の良心を生じるのに、それを知らず、あれこれと詮索し思慮するので、紙一重ほどの違いも、天と地ほど遠い隔たりになってしまいます。たとえば犬が自分の尾に食いつこうとすると、体が回るにつれて尾も回るので、食いつくことができません。告子もあれこれ思慮するので、性善に届かないのです。惜しいことです、哀れなことです。孟子は知恵を用いず、義を行われたので、夜明けの清らかな気を養うことができました。けれども、それは自分ひとりで会得するところで、言い表しがたいので、

解説

告子の「性は猶ほ湍水のごとし」、渦巻く水は東に切れ目を作れば東に流れるという説は『孟子』告子上篇にあります。梅岩は、考えれば考えるほど性から遠ざかる様子を、自分の尾を追って回る犬にたとえます。「平旦の気」は、夜明けの清らかな心の状態を言う孟子の言葉です。頭で捕まえようとするほど逃げていくものがある。自分を分析しすぎて動けなくなるとき、考えるのをいったん止めて、行いの中で確かめるほうへ移れ、という助言として読めます。

この章句が説くこと

告子湍水思慮平旦

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