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都鄙問答 / 卷之三・性理問答ノ段

曰、段々ノ說ニテ、天人一致ト性善ノコトハ、耳ニハ聞ドモ、心ニハ得ズシテ、少シモ面白味ヒノ不出ハ、如何ナルコトゾヤ、答能問哉、徒然草ニ、傳聞學ンデ知ルハ、眞ノ知ニアラズト云、今汝如斯キコヘタルヤウニ思ハルヽトモ、未實知ニアラズ、是ヲ以テ味ナシ、性ヲ知リタシト脩行スル者ハ、得ザル所ヲ苦ミ、是ハイカニコレハ如何ニト、日夜朝暮ニ困ウチニ、忽然トシテ開タル其時ノ嬉サヲ喩テイハヾ、死タル親ノ蘇生リ、再ビ來リ玉フトモ、其樂ニモ劣マジ、昔ヨリ重荷ヲ持シ山賤ノ、息杖懸テ休タルヲ、安樂ノ至極ナリト畫傳シ其人ハ、豁然ト開タル此樂ヲ不知者ニテ有ツラン、我ニ至極ノ樂ヲ畫ト望人アラバ、豁然トヒラケツヽ、

新字:曰、段々ノ説ニテ、天人一致ト性善ノコトハ、耳ニハ聞ドモ、心ニハ得ズシテ、少シモ面白味ヒノ不出ハ、如何ナルコトゾヤ、答能問哉、徒然草ニ、伝聞学ンデ知ルハ、真ノ知ニアラズト云、今汝如斯キコヘタルヤウニ思ハルヽトモ、未実知ニアラズ、是ヲ以テ味ナシ、性ヲ知リタシト脩行スル者ハ、得ザル所ヲ苦ミ、是ハイカニコレハ如何ニト、日夜朝暮ニ困ウチニ、忽然トシテ開タル其時ノ嬉サヲ喩テイハヾ、死タル親ノ蘇生リ、再ビ来リ玉フトモ、其楽ニモ劣マジ、昔ヨリ重荷ヲ持シ山賤ノ、息杖懸テ休タルヲ、安楽ノ至極ナリト画伝シ其人ハ、豁然ト開タル此楽ヲ不知者ニテ有ツラン、我ニ至極ノ楽ヲ画ト望人アラバ、豁然トヒラケツヽ、

書き下し

曰く、段々の説にて、天人一致と性善のことは、耳には聞ども、心には得ずして、少しも面白味ひの出ざるは、如何なることぞや。答、能く問へるかな。徒然草に、伝へ聞き学んで知るは、真の知にあらずと云。今汝如斯きこへたるやうに思はるゝとも、未だ実知にあらず。是を以て味なし。性を知りたしと脩行する者は、得ざる所を苦み、是はいかにこれは如何にと、日夜朝暮に困うちに、忽然として開たる其時の嬉さを喩ていはゞ、死たる親の蘇生り、再び来り玉ふとも、其楽にも劣まじ。昔より重荷を持し山賤の、息杖懸て休たるを、安楽の至極なりと画伝し其人は、豁然と開たる此楽を知らざる者にて有つらん。我に至極の楽を画と望人あらば、豁然とひらけつゝ、

現代語訳

問う人「これまでの説で、天人一致や性善のことは耳では聞きましたが、心には得られず、少しも面白みが出てこないのは、どういうことでしょう。」答え。「よく問うてくれました。『徒然草』に『人から伝え聞き、学んで知るのは、本当の知ではない』とあります。いまあなたは分かったように思われても、まだ本当に知ったのではありません。だから味がないのです。性を知りたいと修行する者は、会得できないところに苦しみ、これはどうだ、あれはどうだと日夜朝晩に困りぬくうちに、忽然として開ける。そのときの嬉しさをたとえれば、死んだ親が生き返って再び来てくださるとしても、その喜びにも劣らないでしょう。昔から、重荷を担いだ山の木こりが息杖を立てて一休みしているのを安楽の極みだと描き伝えた人は、豁然と開けるこの楽しみを知らない人だったのでしょう。もしわたしに究極の楽しみを描けと望む人があれば、豁然と開けて、

解説

「伝へ聞き、学びて知るは、まことの智にあらず」は『徒然草』第三十八段の言葉です。聞いて分かったつもりでも面白くないのは、まだ自分で得ていないからだと、梅岩は正直に告白した相手をまず「よく問うた」と認めます。そして、苦しみ抜いた末に忽然と開ける喜びを、死んだ親が生き返るほどだと語ります。梅岩自身、師の小栗了雲に見解を退けられ、長く苦しんだ末に開けた経験を持つ人でした。分かったつもりと本当に分かった瞬間の差を、体験から語る一節です。

この章句が説くこと

実知徒然草悟り修行喜び

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